福音を伝えることを学ぶ, 第6課. 読む 使徒行伝 14:8-18. 友人の心に「造り主」という前提がないのに、いきなり「イエスはあなたの罪のために死なれた」と語り、相手は私たちが誰のことを話しているか分からない
中心聖句:使徒行伝 14:8-18
ルステラでパウロが向き合ったのは、聖書についての背景知識がなく、モーセも預言者もよく知らない人々でした。パウロはイエスの十字架から始めず、まず「天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神」について語ります。そして雨と実りの季節を指し、この神は「ご自分のことをあかししないでおられたわけではない」と言いました。心の中に「創造主」という場所がなかった友人には、福音の土台をまずここから据える必要があります。私たちは造られた者であり、私たちの主がおられ、その方はいつも私たちに恵みを与えておられます。
多くの友人が幼いころから触れてきたのは、創造主を必要としない世界の始まりの説明です。宇宙は自然の過程を経て形づくられ、人間も生物の進化によって生じたと聞いてきました。その人の心の中には、「創造主がおられる」という場所がありません。そこで私たちがいきなり「イエスはあなたの罪のために死んだ」と言っても、相手は戸惑うでしょう。罪とは何か。だれに対して罪を犯したのか。イエスが死んだことと自分にどんな関係があるのか。 その人はわざと反論しているのではありません。その言葉を受け止める土台が、まだ心にないのです。
使徒行伝14章は、一つの現場を記しています。パウロとバルナバがルステラに着くと、生まれながら足が不自由で、一度も歩いたことのない人がいました。パウロが大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言うと、その人は踊り上がって歩き始めました(使徒 14:10)。群衆はそれを見て、土地の言葉で声を張り上げ、自分たちが拝むゼウスとヘルメスが人間の姿で下って来たと言いました。町の外にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛と花輪を門前へ持って来て、二人の使徒に犠牲をささげようとしました(使徒 14:11-13)。
この聞き手がだれだったかに注目してください。使徒行伝を読むと、パウロは二種類の人々に対して、異なる出発点から語っています。ユダヤ人には会堂へ入り、「聖書に基いて彼らと論じ」、キリストは苦難を受け、死人の中からよみがえるべきことを説明し、「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」と論証しました(使徒 17:2-3。使徒 13:16-41も参照)。ユダヤ人は幼いころからモーセと預言者の書を読み、天地を造られた唯一の神をすでに信じていました。彼らに必要なのは、イエスこそ約束されたキリストであると知ることでした。ルステラの人々は違います。ゼウスのようなギリシヤの偶像を拝み、心の中に「創造主」という考え自体がありませんでした。そこでパウロは出発点を変えます。
皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。(使徒 14:15)
パウロが語っているのは、なお「福音を説く」ことです。ただ創造から始めています。 それは算数を教えるのに似ています。足し算がまだ分からないなら、足し算から教えなければならず、いきなり掛け算へ進むことはできません。創造主という土台がなければ、後の話も立ちません。ルステラの人々は足の不自由な人が立ち上がるのを見ると、使徒たちをゼウスとヘルメスが下って来たのだと思いました。このこと自体、創造主を知らなければ、神を偶像礼拝で拝んでいる対象の一つと混同してしまうことを示します。創造主を知らなければ、自分がだれに対して負い目を負っているか分からず、罪もはっきり理解できません。罪が分からなければ、救いの必要も感じず、切実に求めることもありません。ですから、心に創造主という場所がない人にとって、創造は福音の最初の土台です。世界は偶然に生じたのではなく、天地を造られた神がおられます。間違った対象を拝むことは、「愚にもつかぬもの」へ向かうことです。
続いてパウロは、慎重な言葉を語ります。
神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである。(使徒 14:16-17)
パウロが証しとして挙げたのは、相手が毎日経験していても、そこから神を考えたことのない事柄でした。雨が降ること、作物が実ること、食べて満たされること、心に喜びを持つことです。これらは当然ではなく、創造主がいつも「いろいろのめぐみをお与えになっている」しるしです。創造を語ることは、宇宙がどこから来たかを語るだけではなく、この神が惜しみなく与える方だと語ることでもあります。 これはとても大切です。後に罪や十字架を語る時も、「神は良い方であり、いつも与えてこられた」ということへ戻るからです。
ローマ1章も同じことを語ります。「神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされた」のです(ローマ 1:19)。続いてパウロは、人の本当の問題を示します。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。(ローマ 1:21)
人の問題は、知らないことだけではなく、「神としてあがめず、感謝も」しないことです。 与えられ続けていながら、与える方を認めません。創造についてここまで語ると、罪という次の話にも土台ができます。私たちが罪を犯した相手は、私たちを造り、いつも良くしてくださっている神です。
では、友人と創造について話す時、どこから始めればよいでしょうか。素朴な方法がいくつかあります。
一、相手がすでに経験したことから始めます。 子どもの誕生、満天の星、重い病気から回復した経験、心の中にある「これはしてはいけない」という線。パウロはルステラで、雨と実りの季節を用いました。 二、「だれが」を据え、最初から「どのように、どれくらいの期間で」を争いません。 神がどのような方法で、どれくらいの時間をかけて創造されたかについて、クリスチャンの間にも異なる理解があります。福音を伝える時、まず据えるのは、「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記 1:1)、万物には創造主がおられ、人は神に造られたということです。会話の初めから論争に行き詰まらないようにします。 三、神は良い方で、いつも与えておられることを語ります。 「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」(創世記 1:31)のです。また神は、「いろいろのめぐみをお与えになって」います(使徒 14:17)。 四、私たちは神に属していることを語ります。 神が造られたのなら、私たちは自分自身の主人ではありません。この点を最初から強く言う必要はありませんが、語らなければならないことです。
率直に言うべきこともあります。パウロがこのように話しても、聖書は、二人が「やっとのことで、群衆が自分たちに犠牲をささげるのを、思い止まらせた」と記します(使徒 14:18)。明確に話しても、相手がすぐに理解するとは限りません。 創造という土台は、何度も話し合う中で少しずつ据えられることがあります。私たちの務めは、はっきり語り、それが相手の心にゆっくり根づくのを待つことです。
ですから、この課の着地点はこうです。心に創造主という場所がない人へ福音を伝えるなら、天地を造り、いつも人に恵みを与えておられる神から語り始めます。 この土台があってこそ、罪と十字架について語る時、相手は私たちがだれについて話しているか分かります。
1. ユダヤ人には「イエスこそキリスト」と語り、異邦人にはまず創造を語りました。 ユダヤ人は創造主をすでに信じていました。ルステラの人々はゼウスのような偶像を拝み、心に創造主という考えがなかったため、パウロは創造から始めました。
2. 「わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である」。 パウロはまず自分を人間の位置に戻し、人からの礼拝を受けませんでした。神について語る者が、自分を神の位置に置いてはいけません。
3. 「福音を説いている」。 創造から始めることも福音を伝えることであり、福音の前にする雑談ではありません。
4. 「このような愚にもつかぬものを捨てて」「生ける神に立ち帰る」。 創造を語ること自体に招きが含まれます。間違った対象を拝んでいるなら、向きを変えなければなりません。
5. 雨、実りの季節、食物、喜び。 パウロは、相手が毎日経験するものを、神の恵み深さを示す証しとして挙げました。
6. 「ご自分のことをあかししないでおられたわけではない」。 聖書を持たない人々の間でも、神はご自分を証ししておられました。私たちは、神が一度も行かれたことのない場所へ神を連れて行くのではありません。
7. 「やっとのことで」。 明確に語っても、相手がすぐに理解するとは限りません。創造という土台は、何度も話す中で据えられることがあります。
最初にひとこと(リーダーが読み上げます)
このグループで聞いた話を、外へ持ち出して言いふらすことはしません。ただし、例外があります。現在進行中の危害、子どもや弱い立場の人の安全、または自分や他人を今すぐ傷つける危険が関わる場合、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常は、まずできる限り本人と相談し、実際に助けられる人に必要な情報だけを伝えます。子どもや自分を守れない人が関わる場合、または差し迫った危険がある場合は、同意を前提とせず、状況に応じて牧師、資格のある専門家、現地の公安機関/警察、救急・医療機関へ連絡します。差し迫った危険があるときはその場で助けを求め、本人を一人にしないでください。
アイスブレイク:子どものころ、「世界はどこから来た」と聞いていましたか。(教科書、家族、テレビから聞いた話でもかまいません。初めて来た方も、今の考えを話せます)
リーダーへのヒント:気軽に話し、正誤を評価しません。身近な友人の心には、「創造主」という場所がないことが多いと気づくでしょう。この問いは後の話への準備です。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない人のためです)
この課では、使徒行伝14章8~18節を読みます。ルステラには、生まれながら足が不自由で、一度も歩いたことのない人が座っており、パウロの語るのを聞いていました。パウロは彼をじっと見て、大声で、自分の足でまっすぐに立つよう言うと、その人は踊り上がって歩き出しました。群衆はそれを見て、土地の言葉で、ゼウスとヘルメスが人間の姿をとって下って来たと叫びました。町の外にあるゼウス神殿の祭司は雄牛と花輪を持って来て、二人の使徒に犠牲をささげようとしました。バルナバとパウロは上着を引き裂いて群衆の中へ飛び込み、自分たちも同じ人間であり、これらの愚にもつかぬものを捨て、天と地と海とその中のすべてを造られた生ける神へ立ち帰るよう、福音を伝えていると叫びました。神は過ぎ去った時代、国々の人をそれぞれの道に任せながらも、ご自分を証しせずにおられたのではなく、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びで人の心を満たし、いろいろの恵みを与えておられました。二人は、やっとのことで群衆が犠牲をささげるのを思い止まらせました。あわせて読む創世記1章1節には、はじめに神が天と地を創造されたとあります。またローマ1章には、人は神を知りながら神としてあがめず、感謝もしなかったとあります。今日は、創造からどのように語り始めるかを一緒に考えます。
1. 8-13節を読みます。ルステラの群衆は、足の不自由な人が立ち上がったことをどう理解しましたか。何をしようとしましたか。
リーダーへのヒント:自分たちが拝むゼウスとヘルメスが下って来たと思い、祭司が雄牛と花輪を持って来て、使徒たちに犠牲をささげようとしました。もともと持っていた考えで、目の前の出来事を説明したのです。
2. 14-15節を読みます。パウロとバルナバはどう応じましたか。パウロは、福音を伝えるのは、人が何を捨て、だれへ立ち帰るためだと言いましたか。
リーダーへのヒント:上着を引き裂いて群衆の中へ飛び込み、「わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である」と語りました。愚にもつかぬものを捨て、天と地と海とその中のすべてを造られた生ける神へ立ち帰るためです。
3. 16-18節を読みます。パウロはどんなものを神の「証し」として挙げましたか。結果はどうでしたか。
リーダーへのヒント:天からの雨、実りの季節、食物、心の喜びです。結果は、二人が「やっとのことで」群衆に犠牲をささげるのを思い止まらせたというものでした。語り終えても、群衆はすぐには理解しませんでした。
4. パウロはユダヤ人には、聖書に基づいてイエスこそキリストだと証明しました。ルステラでは創造から始めました。なぜ出発点を変えたのでしょうか。出発点を変えることは、福音を別のものにすることでしょうか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。時間を十分に取ってください。ユダヤ人はすでに創造を信じており、イエスこそキリストだと知る必要がありました。異邦人の心には創造主という土台さえありませんでした。足し算を知らない人に、いきなり掛け算を教えることができないのと同じです。この土台がなければ、人は神を偶像の一つと考え、罪が分からず、救いの必要も感じません。それでもパウロは、これが「福音を説く」ことだとはっきり言っています。福音の内容を変えず、土台から語り始めたのです。身近な友人は、会堂の人々とルステラの人々のどちらに近いか、尋ねることもできます。
5.(時間に余裕があれば)パウロは、なぜ最初に一連の論証を示すのではなく、雨と実りの季節を証しとして挙げたのでしょうか。
リーダーへのヒント:相手が毎日経験しており、何かの前提を受け入れなくても見ることのできるものだからです。創造を語ることは、この神が惜しみなく与える方だと語ることでもあります。それが、後に罪と恵みを語るための準備になります。
6. ローマ 1:21を読みます。人の問題は、ただ「神を知らない」ことだけでしょうか。「神としてあがめず、感謝もせず」という言葉は何を示しますか。
リーダーへのヒント:人は情報が足りないだけではありません。与えられ続けながら、与える方を認めません。ここから罪について語る土台ができます。私たちが罪を犯した相手は、私たちを造り、いつも良くしてくださっている方です。
7. 心に「創造主」という考えがない友人に、世界はどこから来たのか、その人と神にはどんな関係があるのかを、三、四文で話してみてください。(二人一組で交代して話します。初めて来た方は聞くだけでも、聞いた感想を話してもかまいません)
リーダーへのヒント:これは試験でも討論の練習でもないと、最初にはっきり伝えます。骨組みを示してもよいでしょう。その人が経験した一つの良いことから始める → 良いものには与える方がおられる → はじめに神は天と地を創造し、人は神に造られた → 私たちは神に属している。話した後、互いに一つ補い合います。
8. 今週、身近な友人のうちだれに、その人が経験したどんなことから話し始められそうですか。
リーダーへのヒント:できるだけ具体的にします。子どもの誕生、美しい景色、病気の時に助けられたこと、心の中でどうしても納得できない出来事などです。今週必ず話すという目標を、だれにも求めません。次の行動リストにつなげます。
一人のメンバーに使徒 14:15-17をゆっくり読んでもらい、全員で二分間静かにします。それぞれが心の中で一人の友人について神に感謝します。神はその友人にも「いろいろのめぐみ」を与えておられますが、友人はまだそれに気づいていません。希望する人は一、二文で祈ります。声に出したくない人の黙祷も祈りです。初めて来た方は静かに聞いているだけでよく、祈りや意思表示を求められることはありません。最後にリーダーがまとめ、神が友人たちの目を開き、いつも与えてくださる創造主を認められるよう祈ります。祈りの課題はグループ内にとどめ、繊細な内容はアプリに記録せず、グループチャットにも投稿しません。通常、フォローする前に本人の同意を得て、必要なことだけを一、二文で個別に記録します。ただし、子どもや自分を守れない人の安全、または差し迫った自傷・他害の危険がある場合は、同意を前提とせず、直ちに現地の救急、公安機関/警察、または適切な保護機関へ連絡してください。
次のように祈り始めることができます(祈りの方向):
主よ、あなたは天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神です。天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びで人の心を満たしてくださいます。私たちにも同じようにしてくださっています。それでも私たちは、受けながら感謝しないことが多いと認めます。まず私たちの心を感謝で満たし、身近な友人が、味わっている良いものはすべてあなたから来たと気づけるようにしてください。友人が経験したことから始め、あなたを紹介するのにふさわしい言葉を与えてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈りの後、次の中から一つ選び、今週実行してみましょう。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。よければ次の集まりで話してください。できなかった場合は、妨げになったことを祈りの中で神に伝えましょう。
「罪:善悪を知る木の実」(創世記 2:15-17、3:1-13)、または「科学と信仰は必ず対立するのですか」(創世記 1:1-2:3)を選べます。