晩年を共に歩む夫婦, 第5課. 読む 詩篇 71 篇. 伴侶が脳卒中、認知症、寝たきりとなり、昼夜介護して疲れとつらさを抱え、自分が先に倒れることも恐れる
中心聖句:詩篇 71 篇
詩篇71篇は、一人の年老いた人の祈りです。「わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください」。病気の配偶者を介護する人は、疲れ、つらく感じ、怖くなることもあります。それをありのまま神に語ってよいのです。そして、ほかの人にもこの重荷を一緒に担ってもらいましょう。
配偶者が脳卒中になってから、暮らしは一変しました。体の向きを変える、食事を口へ運ぶ、体を拭く、おむつを替える。夜は物音がするたびに目を覚まし、一晩に何度も起きます。子どもたちは遠くに住み、電話で「お母さん、大変だね」と言ってくれます。しかし電話を切れば、家にはやはり彼女一人です。認知症になり、少しずつ家族が分からなくなったり、介護する人に腹を立て、ひどい言葉をぶつけたりする配偶者もいます。介護する側も疲れ切り、思わず怒鳴ってしまい、後で悔やみます。そして、口にするのが怖い言葉を心に抱えています。「もう持ちこたえられない。私の方が先に倒れたら、この人はどうなるのだろう」。
詩篇71篇は、年を取った一人の信徒の祈りです。この詩には表題がないため、作者がだれかは分かりません。ただ、若い時から神により頼み、年老いて白髪になった今も、危機の中で叫び求めていることは分かります。
わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。(詩篇 71:9)
この言葉は、介護する人も、介護される人も祈れます。年を取り、力が衰えた時、最も怖いのは見捨てられることです。詩人は強がらず、その恐れをありのまま神に語りました。周囲には、「神は彼を見捨てた」「彼を助ける者がない」と言う人までいました(詩篇 71:11)。私たちの状況は詩人と同じではないかもしれません。しかし、病人を介護する人は、「助ける者がない」という感覚を抱くことがあります。
詩人の望みは、振り返るところから始まります。「主なる神よ、あなたはわたしの若い時からのわたしの望み、わたしの頼みです」(詩篇 71:5)。何十年も前に彼を支えた神は、今日も同じお方です。だからこそ、困難の中でこう語ります。
しかしわたしは絶えず望みをいだいて、いよいよあなたをほめたたえるでしょう。(詩篇 71:14)
そして、次の世代に伝えることも忘れません。「神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください」(詩篇 71:18)。病気の高齢者がどのように介護され、介護する人が疲れの中でなおどのように祈るのかを、子どもや孫たちは見ています。
20節はこう語ります。「あなたはわたしを多くの重い悩みにあわされましたが、再びわたしを生かし、地の深い所から引きあげられるでしょう」(詩篇 71:20)。「再びわたしを生かし」は、まず深い苦境からもう一度命を得ることを指します。新約聖書の光の中で読むなら、この望みが最終的にどこへ向かうかが分かります。キリストは死者の中からよみがえり、キリストに属する人もよみがえります。病床のそばで過ごす日々がどれほど長くても、それが物語の結末ではありません。
神は、この重荷を一人で担うようにも求めておられません。パウロは言います。
互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。(ガラテヤ人への手紙 6:2)
配偶者を介護することは、相手の重荷を担うことです。しかし介護する人自身の重荷も、だれかに担ってもらう必要があります。子どもたちに交替で帰って来てもらう、教会の兄弟姉妹にしばらく付き添ってもらう、地域に訪問介護、デイサービス、介護に関する補助がないか尋ねる、医師に病状と介護方法を詳しく説明してもらう。どれもこの御言葉を生きる一つの姿です。助けを求めることは、愛が足りないことでも、信仰が弱いことでもありません。
疲れ、腹立たしく思うことは、愛していないという意味ではありません。詩人のように、それらをありのまま神に語れます。信頼できる一人に話してもよいのです。疲れ切って、生きていても仕方がないと感じる時や、配偶者に手を上げそうで自分を止められない時は、さらに歯を食いしばる時ではありません。すぐに助けを求める時です。
1. これは年老いた人の祈りです。 詩篇71篇には表題がなく、作者は不明です。9節と18節から、詩人がすでに年老いて白髪になり、生涯神により頼みながら、今なお危機の中にいることが分かります。
2. まず後ろを振り返り、それから前を見ます。 5-6節と17節は、若い時から、母の胎を出た時から神が支えてくださったことを振り返ります。その後で14節は、「絶えず望みをいだいて」と語ります。この望みは、変わることのない神の真実に基づいています。
3. 恐れを口にしています。 9節と18節で、詩人は二度「見捨てないでください」と願います。聖書は、年老いて弱った人に強がるよう求めません。
4. 「再びわたしを生かし」。 20節で詩人は、まず深い苦境から再び命を得て引き上げられることを語っています。新約聖書の光の中では、この望みは最終的にキリストの復活へとつながります。
5. 「重荷を負い合う」。 ガラテヤ人への手紙6:2は、互いに重荷を負い合うよう語ります。同じ段落の6:5は、「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである」と言います。この二つは矛盾しません。自分の責任は果たし、重すぎる重荷は一緒に担います。
初めに一言(リーダーが読みます)
グループで話されたことを、外へ持ち出して言い広めません。ただし、例外があります。現在進行中の被害、子どもや弱い立場の人の安全、または自分や他人を直ちに傷つける危険が関わる場合、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常はまず本人とできる限り相談し、実際に助けられる人に必要な情報だけを伝えます。子どもや自分を守れない人が関わる場合、または差し迫った危険がある場合は、同意を前提とせず、状況に応じて牧師、資格のある専門職、現地の公安・警察、救急・医療機関へ連絡します。差し迫った危険があれば、その場で助けを求め、本人を一人にしません。
アイスブレイク:あなたが病気だった時、だれが世話をしてくれましたか。何が一番心に残っていますか。(初めて参加する方も話せます)
リーダーへのヒント:気軽に話してください。子どものころ熱を出し、母親が一晩中付き添ってくれたこと。入院中、同じ病室の人が看護師を呼んでくれたこと。最後に一言、「私たちは皆、世話をしてもらうありがたさを味わっていますが、世話をする人の苦労は見過ごされがちです」とまとめます。
この課の振り返り(リーダーが読みます。約1分。予習していない人のためです)
この課で読むのは詩篇71篇です。詩人は、主に寄り頼み、若い時から神を頼みとし、母の胎を出た時から支えられてきたと語ります。「わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください」と祈ります。周りには、神が彼を見捨て、助ける者はいないと言う人がいます。しかし詩人は、絶えず望みをいだき、いよいよ神をほめたたえると言います。年老いて白髪になっても、次の世代に神の力を宣べ伝えるまで、見捨てないでほしいと願います。神は多くの重い悩みの中から、再び彼を生かし、地の深い所から引き上げてくださいます。関連箇所はガラテヤ人への手紙6章です。「互に重荷を負い合いなさい」と語られています。今日は一緒に、病気の配偶者を介護するこの重荷をどのように担うかを分かち合います。
1. 1-8節を読みます。詩人は、神がいつから自分を支えてくださったと振り返っていますか。神をどのように呼んでいますか。
リーダーへのヒント:若い時から、母の胎を出た時からです。神は、彼が寄り頼むお方、岩、堅固な避け所、望み、頼みです。
2. 9-13節を読みます。詩人が年老いた時、最も恐れたことは何ですか。周りの人々は彼について何と言いましたか。
リーダーへのヒント:見離され、見捨てられることを恐れました。「神は彼を見捨てた」、助ける者はいないと言われています。詩人は、遠く離れず、急いで助けてほしいと願います。
3. 14-24節を読みます。困難の中で、詩人は何をすると決めていますか。次の世代についてどのような願いがありますか。20節では何を望んでいますか。
リーダーへのヒント:絶えず望みをいだき、いよいよ神をほめたたえます。年老いて白髪になっても、神の力を次の世代に宣べ伝えたいと願います。そして、神が再び彼を生かし、地の深い所から引き上げてくださることを望んでいます。
4. 詩人は年老いて力が衰え、「わたしを見離さないでください」と神に直接語りました。病人を介護する人と、介護される人は、どのようにこの祈りにならえるでしょうか。詩人の望みはどこから来ましたか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ってください。恐れも疲れも、ありのまま語れます。自分を整えてから祈りに来る必要はありません。詩人の望みは、振り返ることから生まれました。神は若い時から彼を支え、今日も同じお方です。キリストにあって、この望みは最終的に復活につながります。病床のそばで過ごす日々が結末ではありません。
5. ガラテヤ人への手紙6:2は、「互に重荷を負い合いなさい」と語ります。配偶者を介護する人にも、なぜ重荷を担ってくれる人が必要なのでしょうか。私たちはどのような助けを求めることをためらいがちですか。
リーダーへのヒント:一人では長期の介護を担い続けられません。介護者が倒れれば、二人とも困ります。ためらいがちな助けには、子どもたちに交替で帰ってもらうこと、だれかにしばらく代わってもらって一晩ぐっすり眠ること、介護職を頼むこと、デイサービスを利用すること、地域の支援を尋ねることがあります。助けを求めることは、キリストのからだが互いに顧みるためであり、愛が足りないことではありません。
6.(時間に余裕があれば扱う問い)詩人は、神の力を「きたらんとするすべての代に宣べ伝える」と語ります。家族が病の中でどのように暮らすかを見て、子どもや孫は何を受け取るでしょうか。
リーダーへのヒント:華やかではない日々の中で、愛がどのように生きられるかを見るでしょう。疲れた人がどのように祈るか、家族がどのように助けを求め合うかも見ます。完全な姿を見せる必要はありません。真実に生きること自体が証しです。
7. 家族を介護する中で、一番疲れるのはどんなことですか。または、あなたの身近に、長期にわたり病人を介護している人がいますか。(話したい方だけ話してください。自分のことを話したくない方は、見聞きしたことだけでも構いません。初めて参加する方も話せます)
リーダーへのヒント:聞くことに徹し、すぐ助言しません。話してくれたことに感謝します。「もう持ちこたえられない」「死にたい」と語る人がいたら、前述の自殺したい気持ちに関する説明に従い、その場で付き添い、集まりが終わるまで待ちません。
8. 今週、介護している一人のために、または自分自身のために、何を一つしたいですか。
リーダーへのヒント:具体的なことへ導きます。まず家族と相談し、自分にできる範囲でしばらく付き添う、食事を届ける、用事を一つ代わることができます。服薬や抱き起こしなどの介護は、状況をよく知り、対応する力のある人が担います。地域の支援について一緒に尋ねたり、自分から子どもへ電話し、どのような助けが必要かを具体的に伝えたりできます。続く行動リストもこの方向です。
一人の方に詩篇71:9と71:14-18をゆっくり読んでもらい、一分間静かにします。祈りたい方は一言か二言、病気の家族の癒やしと平安、介護する人の力を求めて祈ります。自分の疲れをありのまま神に語っても構いません。声に出したくない方は、静かに祈るだけでも祈りです。初めて参加する方は静かに聞いているだけでよく、祈ることも信仰を表明することも全く求められません。最後にリーダーがまとめ、グループの病気の方々と介護する方々のためにとりなします。祈りの課題はグループ内にとどめ、デリケートな内容はアプリにもグループチャットにも書きません。通常、継続して支える際はまず本人の同意を得て、必要な一言か二言だけを個人的に記録します。ただし、子どもや自分で身を守れない人の安全、または自傷・他害の差し迫った危険がある場合は、同意を前提とせず、直ちに現地の救急、公安・警察、適切な保護機関へ連絡してください。
このように祈り始めることができます(祈りの方向):
主なる神よ、あなたは私たちの望み、若い時からの頼みです。今、私たちは年を取り、力が衰えています。どうか見離さないでください。あなたは病床の配偶者も、そのそばで疲れ果て、言葉も出ない人も見ておられます。介護する人に力と眠りを、病気の人に平安を与えてください。この重荷をともに担う人々を送ってください。キリストはすでに死者の中からよみがえられたので、私たちは絶えず望みをいだきます。地の深い所から私たちを引き上げてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、下から一つを選び、今週やってみましょう。一つで十分です。今すぐ選べなくても構いません。
記録も報告も必要ありません。話したい方は、次の集まりで話しても構いません。できなかった時は、何が妨げになったかを祈りに持って行きましょう。
二人とも今、安全で落ち着いており、配偶者が内容を理解でき、話すことを望んでいる場合だけ、一緒に話します。配偶者に重い認知症や攻撃的な行動がある場合、または介護する側が自分を抑えられないのではないかと心配している場合は、向き合ってこの課題を行わず、すぐに手伝う人と交替要員を手配します。一人で参加した方は、自分で考えた後、助けになれる家族へ答えを伝えても構いません。
話す時は、どちらがより大変かを比べず、「全部あなたのためにしている」とも言いません。一人が話し、もう一人は聞くことに徹します。聞き終えたら、「話してくれてありがとう」と伝えます。
「人生のさまざまな境遇」シリーズの課「年老いた親を世話する」(創世記 47:1-12)、または「感情の応答がきよめられる」シリーズの課「疲れ果てた時」(列王紀上 19:1-18)を選べます。