伴侶がまだ主を信じていない · スモールグループ

晩年を共に歩む夫婦, 第4課. 読む コリント人への第一の手紙 7:12-16. 長年主を信じても伴侶は信じず、教会へ行ってばかりだと嫌がる。信じないまま世を去るのではないかと焦る

中心聖句:コリント人への第一の手紙 7:12-16

パウロは、配偶者がまだ信じていない信徒に、相手が一緒に暮らすことを望んでいるなら離婚してはいけないと勧めます。ペテロは、御言に従わない人も信徒の行いによって導かれることがあると語ります。配偶者の救いは神の御手にあります。私たちにできるのは、家庭でキリストを表し、たゆまず祈り、尋ねられた時には柔和に答え、無理強いせず、失望しないことです。

はじめに

ある年配の姉妹は、信仰を持って二十年になります。日曜日の朝に出かけるたび、夫は後ろから「また行くのか」とつぶやきます。食事の前に目を閉じて祈ると、夫は隣ですでに箸をつけています。年金の一部を献金すると、だまされていると言われます。年を重ねるほど、彼女の心は焦ります。夫の体は年々弱っているのに、もし信じないままいつか亡くなったら……。中国の教会には、このような家庭が少なくありません。反対に、信じているのが夫で、妻は旧暦の一日と十五日になると変わらず寺へ行って香をたく家庭もあります。

コリント教会にも、このような家庭がありました。結婚後に信仰を持ったものの、配偶者はまだ信じていない人々です。彼らはパウロに、離れるべきかと尋ねました。パウロはこう答えます。

そのほかの人々に言う。これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。(コリント人への第一の手紙 7:12)

また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。(コリント人への第一の手紙 7:13)

12節の初めでパウロが「主ではなく、わたしである」と言うのは、地上におられたイエスがこの状況について直接の言葉を残されなかったため、パウロが使徒として教えているという意味です。この教えの重みが軽いということではありません。

14節には「不信者の夫は妻によってきよめられており」とあります(コリント人への第一の手紙 7:14)。これはしばしば、「信徒と結婚すれば一緒に救われる」という意味に誤解されます。しかし続く16節でも、パウロはなお「救いうるかどうか、どうしてわかるか」と問いかけています。ですから、救われたという意味ではありません。確かに言えるのは、未信者の側が自動的に救われるということでも、信じる側がこの結婚によって汚されるということでもないということです。「きよめられている」が具体的に何を指すかについては、聖書解釈者の間でも理解が分かれています。

15節では、不信者の側がどうしても離れようとするなら、「離れるままにしておくがよい」と語ります。「神は、あなたがたを平和に暮させるために、召された」からです。そして、あの問いが続きます。

なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。(コリント人への第一の手紙 7:16)

この言葉には、昔から二つの読み方があります。一つは希望として読むものです。とどまっていれば、配偶者があなたを通して救われるかもしれない、という読み方です。もう一つは15節に続けて、救えるかどうかは分からないのだから、相手がどうしても去るなら必死に引き止めなくてもよい、と読むものです。どちらも一つのことを語っています。配偶者の救いは私たちの手の中にはありません。救われると保証することもできず、絶望する必要もありません。

ペテロの手紙にも、よく似た言葉があります。

同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。(ペテロの第一の手紙 3:1-2)

「救に入れられるようになるであろう」は可能性であって、保証ではありません。ペテロが重んじるのは、「うやうやしく清い行い」(ペテロの第一の手紙 3:2)です。家庭でどのように生きているかは、理屈以上によく見られています。この言葉は妻に向けられていますが、続く7節では夫にも妻を尊ぶよう命じています。信じているのが夫であっても妻であっても、原則は同じです。ここで言う「仕える」ことには、良心に反する行いに従うことも、暴力や罵倒に耐えることも含まれません。

ですから、相手を遠ざけるやり方は手放しましょう。毎日くどくど言うこと、「信じなければ地獄へ行く」と脅すこと、孫を使って圧力をかけること、相手に隠れて家の信仰用具を捨てることです。代わりにできることがあります。家庭でさらに穏やかに、思いやり深く接すること。相手が望まないなら、無理に教会へ連れて行かないこと。良心に反しないことでは、できるだけ歩調を合わせること。たとえば清明節に一緒に墓参りをし、花を供え、墓を整えつつ、自分は香をたかず、ひざまずいて拝まないことを前もって丁寧に説明できます。いつか「あなたの信じているものは何なのか」と尋ねられたら、柔和に答えます。

私たち自身が救われたのは、すべて恵みによります。配偶者の救いも、恵みによるほかありません。「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(テモテへの第一の手紙 2:4)。神はその人を、私たち以上に深く愛しておられます。私たちの務めは、信仰を生き、祈り、待ち望むことです。グループの中には、配偶者が信じないまま亡くなった方もいるかもしれません。私たちは神に代わって結論を下しません。最後の時に何が起きたか、私たちには分からないからです。心の痛みを、正しく、しかも慈しみ深い神に委ねてよいのです。悲しんでもよいのです。

学びのポイント

1. 「主ではなく、わたしである」。 12節のこの言葉は、地上におられたイエスがこの状況について直接の教えを残されなかったため、パウロが使徒として教えているという意味です。この箇所があってもなくてもよいという意味ではありません。

2. 「きよめられている」は救われたという意味ではありません。 14節は、未信者の側が自動的に救われるとも、信徒がこの結婚によって汚されるとも語っていません。16節ではなお「救いうるかどうか、どうしてわかるか」と問われているので、すでに救われたという意味ではありません。「きよめられている」が指す具体的な範囲について、解釈者の理解は分かれています。

3. 16節の二つの読み方。 希望として読む人もいれば、「確かなことは分からないので、相手が去ろうとするなら無理に引き止めない」と読む人もいます。どちらも、配偶者の救いが私たちの手の中にないことを思い起こさせます。

4. 「無言の行いによって、救に入れられるようになる」。 ペテロの第一の手紙 3:1-2が語るのは可能性であって、保証ではありません。そこでは、うやうやしく清い行い(3:2)と、柔和で、しとやかな霊(3:4)が大切にされています。

5. 「仕える」ことには境界があります。 ペテロの第一の手紙3章の教えは、良心や神に反することに従うよう求めず、被害に耐えるようにも求めていません。3:6にも「何事にもおびえ臆することなく」とあります。

分かち合い

オープニング(約10分)

初めに一言(リーダーが読みます)

グループで話されたことを、外へ持ち出して言い広めません。ただし、例外があります。現在進行中の被害、子どもや弱い立場の人の安全、または自分や他人を直ちに傷つける危険が関わる場合、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常はまず本人とできる限り相談し、実際に助けられる人に必要な情報だけを伝えます。子どもや自分を守れない人が関わる場合、または差し迫った危険がある場合は、同意を前提とせず、状況に応じて牧師、資格のある専門職、現地の公安・警察、救急・医療機関へ連絡します。差し迫った危険があれば、その場で助けを求め、本人を一人にしません。

アイスブレイク:初めてイエスについて聞いたのは、だれからでしたか。(初めて参加する方は、「キリスト教」という言葉を初めて聞いた時のことを話しても構いません)

リーダーへのヒント:気軽に話してください。家族、同僚、近所の人から聞いた方もいれば、ある人の生き方を見て、教会へ行ってみたいと思った方もいます。最後に一言、「信仰は、聞かれる前にまず見られることがよくあります」とまとめます。

この課の振り返り(リーダーが読みます。約1分。予習していない人のためです)

この課で読むのは、コリント人への第一の手紙7章12節から16節です。パウロは、不信者の妻がいて、その妻が共にいることを喜んでいるなら、離婚してはいけないと言います。また、不信者の夫がいて、その夫が共にいることを喜んでいる場合も、離婚してはいけません。不信者の側は信じる側によってきよめられています。不信者が離れて行くなら、そのままにしておきます。神は私たちを平和に暮らさせるために召されたからです。妻は夫を、夫は妻を救いうるかどうか、どうして分かるでしょうか。関連箇所はペテロの第一の手紙3章です。御言に従わない夫も、妻のうやうやしく清い行いを見て、その無言の行いによって救に入れられるようになると語られています。今日は一緒に、配偶者がまだ主を信じていない時、家庭でどのように歩むかを分かち合います。

観察

1. 12-13節を読みます。配偶者が信じていない信徒に、パウロは何と言いましたか。前提は何ですか。

リーダーへのヒント:不信者の側が共にいることを喜んでいるなら、信じる側は離婚してはいけません。前提は、相手が「共にいることを喜んでいる」ことです。「主ではなく、わたしである」の意味も簡潔に説明できます。

2. 14-16節を読みます。パウロはどのような理由を挙げていますか。不信者の側が去ろうとするなら、どうするよう語りますか。16節では何を尋ねていますか。

リーダーへのヒント:不信者の側は信じる側によってきよめられ、子どもたちもきよいと語られます。相手が離れて行くなら、そのままにしておきます。神は私たちを平和に暮らさせるために召されたからです。16節は、「救いうるかどうか、どうしてわかるか」と尋ねます。

3. ペテロの第一の手紙 3:1-2を読みます。御言に従わない夫は、何によって救に入れられるようになると語られていますか。

リーダーへのヒント:妻の無言の行い、すなわち、うやうやしく清い行いによってです。これは可能性であって、保証ではありません。

解釈

4. 16節は、「救いうるかどうか、どうしてわかるか」という問いです。この言葉は私たちに何を与え、何を与えてはいませんか。配偶者の救いについて、私たちの務めと神の御業はそれぞれ何でしょうか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ってください。この言葉には二つの読み方がありますが、どちらも配偶者の救いが私たちの手の中にはないことを示します。救われると保証することもできず、絶望する必要もありません。私たちの務めは、キリストを表して生き、たゆまず祈り、尋ねられた時に柔和に答えることです。人を救うのは神の御業であり、神は私たち以上にその人を愛しておられます(テモテへの第一の手紙 2:4)。これが分かれば、無理強いや脅しによって「務めを果たそう」としなくてもよくなります。

5. 14節は、不信者の夫が「妻によってきよめられている」と語ります。信徒と結婚すれば、その人も救われるという意味でしょうか。

リーダーへのヒント:違います。16節ではなお「救いうるかどうか、どうしてわかるか」と問われています。未信者の側が自動的に救われるわけではなく、信徒もこの結婚によって汚されるわけではないことは確かです。「きよめられている」が具体的に何を指すかについては理解が分かれます。グループで細部を争わず、「救われたことと同じではない」と明確にすれば十分です。

6.(時間に余裕があれば扱う問い)ペテロは、御言に従わない人も行いによって救に入れられるようになると語ります。家庭で、どのような行いが人を遠ざけ、どのような姿がキリストを表すでしょうか。

リーダーへのヒント:遠ざけるのは、くどくど言う、脅す、孫を使って圧力をかける、相手に隠れて物を捨てる、説明もせず教会の用事を家族より優先する、といった行いです。キリストを表すのは、さらに穏やかに思いやりをもって接し、約束を守り、相手を尊重し、良心に反しないことでは歩調を合わせ、尋ねられた時にはっきりと、しかも柔和に話す姿です(ペテロの第一の手紙 3:15)。

適用

7. 家庭では、どのようなことで信仰による摩擦が起こりやすいでしょうか。(食前の祈り、日曜日の礼拝、献金、香をたく先祖供養、清明節の墓参りなど。話したい方だけ話してください。自分のことを話したくない方は、見聞きしたことだけでも構いません。初めて参加する方も話せます)

リーダーへのヒント:聞くことに徹し、ほかの家庭について批評しません。経験のある方に、後でどのように少しずつ共に暮らす方法を見つけたか、話してもらってもよいでしょう。先祖供養の細部をグループで争いません。

8. 今週、家庭でどのような「言葉を使わない証し」を一つしたいですか。

リーダーへのヒント:具体的なことへ導きます。出かける前に食事を用意しておき、帰ったら一日どうだったか尋ねる。献金について丁寧に説明する。機嫌の悪い時に教会の話を持ち出さない。体調や悩みを話した時に「祈ってもいい?」と尋ね、断られたら無理強いしない。続く行動リストもこの方向です。

祈りと実践

ともに祈る(約15分)

一人の方に、コリント人への第一の手紙 7:12-16をゆっくり読んでもらい、一分間静かにします。祈りたい方は、配偶者や家族を普段の呼び名で挙げても構いません(実名は必要ありません)。その体が守られ、心が開かれるよう、ともに祈ります。自分自身に柔和さと忍耐が与えられるよう祈ってもよいでしょう。声に出したくない方は、静かに祈るだけでも祈りです。初めて参加する方は静かに聞いているだけでよく、祈ることも信仰を表明することも全く求められません。最後にリーダーがまとめ、グループの一人ひとりの家庭のためにとりなします。祈りの課題はグループ内にとどめ、デリケートな内容はアプリにもグループチャットにも書きません。通常、継続して支える際はまず本人の同意を得て、必要な一言か二言だけを個人的に記録します。ただし、子どもや自分で身を守れない人の安全、または自傷・他害の差し迫った危険がある場合は、同意を前提とせず、直ちに現地の救急、公安・警察、適切な保護機関へ連絡してください。

このように祈り始めることができます(祈りの方向):

主よ、あなたは、すべての人が救われて真理を悟ることを望んでおられます。あなたは私たち以上に、私たちの配偶者を深く愛しておられます。私たちは焦り、愛の代わりにくどくど言い、脅してしまうことがありました。どうか赦し、柔和で、しとやかな霊を与えてください。私たちの家庭で御業をなし、私たちを通してキリストを表してください。いつか心にある望みについて尋ねられる時、ふさわしい言葉を与えてください。すでに配偶者を亡くした兄弟姉妹を、あなたご自身が慰めてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

今週の行動リスト(約5分)

祈った後、下から一つを選び、今週行ってください。一つで十分です。今すぐ選べなくても構いません。

記録も報告も必要ありません。話したい方は、次の集まりで話しても構いません。できなかった時は、何が妨げになったかを祈りに持って行きましょう。

帰宅後:二人の課題

この課には一人で参加することが多いので、課題も一人でできる形にします。配偶者が一緒に話すことを望み、関係が安全で、報復を招く心配がない場合は、問3を尋ねても構いません。聞くことに徹し、反論しません。

  1. 家庭での私のどのような行いが、配偶者を信仰からいっそう遠ざけているかもしれませんか。
  2. 配偶者の良いところで、長い間口にしてこなかったことは何ですか。時を選んで、一言感謝を伝えましょう。
  3. (配偶者が話すことを望む時)「私が信仰を持ってから今まで、どこが変わったと思う? まだどんなところに居心地の悪さを感じる?」

問3を尋ねる時は、聞くだけにし、説明も説教もしません。聞き終えたら「話してくれてありがとう」と伝えます。話したくないと言われたら、無理強いしません。家庭に殴る、罵る、脅す行為がある、金銭や身分証を管理されている、人と会うことを禁じられている、または話した後の報復をどちらかが恐れている場合、この課題は行いません。交渉や相手との対面を設定するためにも使わず、まず行動リストの該当項目に従って個別に助けを求めてください。

続けて分かち合うなら

「求道者がよく尋ねること」シリーズの「イエスを信じたら、家族を裏切ることになりますか」(ルカ 14:25-33)、または「平和な夫婦関係」シリーズの「結婚は生涯の契約」(創世記 2:18-25)を選べます。

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