真理を見分ける, 第2課. 読む ペテロの第二の手紙 2:1-10. 「再臨したキリスト」を名乗る人、「新しい啓示」を受けたと言う人、「特別に深い教え」を語る人がいる。それぞれ何が誤りか区別できない
中心聖句:ペテロの第二の手紙 2:1-10
ペテロは二種類の人を一つの文に並べました。「民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。」これに、イエスがあらかじめ警告されたにせキリストを加えると、**この三つの呼び名は、それぞれ異なる角度から欺きを明らかにします。** ⚠️ それらは互いに重なり得るもので、排他的な三つの身分ではありません。
「異端」「カルト」と聞くと、多くの人は熱狂的な集団だけを思い浮かべます。しかし、本当に人をだますものは、しばしばそのような姿では現れません。
聖書は三つの呼び名を使い、異なる面から欺きを明らかにします。⚠️ これらは互いに重ならない分類ではありません。マタイ24章はにせキリストとにせ預言者を並べ、ヨハネの第一の手紙4:1も、新約の時代にすでににせ預言者がいると語ります。ペテロの第二の手紙2:1の「民の間に……それと同じく、あなたがたの間にも」は類比であって、にせ預言者は旧約だけ、にせ教師は教会だけにいるという分類ではありません。同じ人が啓示を受けたと称しながら、滅びに至らせる教えを伝えることもあります。
第一は、にせキリストです。自分こそキリストだと称したり、キリストはすでに人知れず再臨したと主張したりします。
イエスはあらかじめこう言われました。
そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。(マタイによる福音書 24:23)
にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。(マタイによる福音書 24:24)
二つの点に注目してください。 第一に、彼らは大いなるしるしと奇跡を行います。 しるしと奇跡を判定基準にしてはいけません。 この一節は、「大きな力があるから正しい」という道を閉ざします。第二に、イエスはにせキリストとにせ預言者を並べ、さらにこう言われました。「だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな」(マタイ 24:26)。主の再臨は、誰かがひそかに知らせなければ分からない出来事ではありません。 「キリストはもう来ておられ、知っているのは私たちだけだ」という主張は、イエスの言葉に従って信じてはいけません。
第二は、にせ預言者です。神から啓示や預言を受けたと偽って主張します。
ペテロは「民の間に、にせ預言者が起ったことがある」と言います(ペテロの第二の手紙 2:1)。旧約聖書には、このような人々が多く登場します。「主はこう言われる」と言いながら、実際には神が語っておられません。今日では、「特別な示しを受けた」「昨夜、神が私に指示された」といった形を取ります。そして、その言葉が都合よく、あなたにその人への服従を求めます。
第三の呼び名は、にせ教師です。信徒の中に現れながら、滅びに至らせる教えをひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主をさえ否定します。 この種類が最も見分けにくいのは、彼らが私たちの中にいるからです。
しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。(ペテロの第二の手紙 2:1)
この一節を分けて見てください。一つひとつが判定基準になります。
「あなたがたの間にも」——外から攻め込むのではなく、内側から起こります。 「ひそかに持ち込み」——公に論じて誰にでも調べさせるのではなく、こっそり持ち込みます。「これはまだ外の人に話さないで」という教えには注意が必要です。 「滅びに至らせる異端」——単に意見が違うだけでなく、人を傷つけ、滅びへ導きます。 「自分たちをあがなって下さった主を否定して」——核心はここです。代価を払って自分たちを買い取ってくださった主を否定します。
続いてペテロは、それに伴う二つのことを語ります。「大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受ける」(ペテロの第二の手紙 2:2)ことです。また、その動機について、「彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼる」と言います(ペテロの第二の手紙 2:3)。ペテロは、偽りの教えを放縦、貪欲、甘言、利をむさぼることと結びつけています。 これらは深刻な警報です。⚠️ ただし、毎回すべてが同時に表面化するとは限りません。この点は後の課で詳しく扱います。
4節から8節で、ペテロは旧約の三つの出来事を続けて挙げ、神が不義を必ず裁かれることを示します。神は罪を犯した御使たちも、洪水の時代も、ソドムとゴモラもそのままにはされませんでした。一方、後の二つの出来事では、ノアたち八人を守り、義人ロトを救い出されました。口語訳では、9-10節が両面を一つにします。
こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、……を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。(ペテロの第二の手紙 2:9-10)
「主は……よくご存じ」——真理を見分けることは、最終的には私たちが十分に賢いかどうかにかかってはいません。 主はご自分の民をどう救い出すかをご存じです。
10節では、彼らが汚れた情欲におぼれ、権威ある者を軽んじ、さらに「大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない」と語られます。⚠️ ここで「栄光ある者たち」は、11節がすぐ御使たちを挙げることから、天上の栄光ある存在を指す可能性が高いと考えられますが、解釈には議論があります。この課では、これを直接「教会のリーダーに従うかどうか」という話に当てはめません。 この段落でより明確なしるしは、放縦、貪欲、甘言、利をむさぼること、そして主を否定することです。
では、この三つの見分け方を実際にどう用いるのでしょうか。
にせキリストを見分けるには、その人がキリストはどこにいると言っているかを見ます。 「キリストはすでに何らかの形で来られ、私たちの所にいる」という主張は、イエスの言葉に従って退けます。 「神が私に指示された」といった主張に出会ったら、聖書と使徒たちが伝えた福音に合っているかをまず調べます。 また、その主張を使って、語る人が他の人に無条件の服従を求めていないかにも注意します。それは深刻な警報です。⚠️ ただし、教えの内容と、長い時間を通して現れる実とを合わせて吟味します。 にせ教師を見分けるときは、次の警報に注意します。 ひそかに伝えられているか。イエス・キリストを主と告白しているか。金銭や情欲の面で人から利益を得ているか。⚠️ これらは真剣に調べるべき警報であり、一つ当てはまっただけで誰かを断罪するためのレッテルではありません。 長期にわたって何を教えているか、キリストをどう扱うか、聖書による吟味と公の監督を受け入れるか、金銭、情欲、権力の面でどんな実があるかを総合して見ます。
⚠️ 最後に、はっきり言わなければならないことがあります。教えを一度間違えたからといって、にせ教師であるとは限りません。 教会の誰もが言い間違えたり、未熟な理解を示したりします。それは正される必要がありますが、すぐににせ教師と決めつけるべきではありません。この課が区別するのは三種類の「偽りの主張」であって、三種類の「異なる意見」ではありません。
ですから、この課の着地点はここです。どの種類の偽りかを見分けてこそ、何を警戒すべきかが分かります。そして、主は信心深い人を救い出す方法をご存じです。
1. 「民の間に……それと同じく、あなたがたの間にも」は類比であり、分類ではありません。 三つの呼び名は重なり得ます。新約の時代にもにせ預言者がいます。
2. マタイ24:24では、彼らが大いなるしるしと奇跡を行うと言われています。 しるしと奇跡を判定基準にしてはいけません。
3. 「あなたがたの間にも」。 にせ教師は外から攻め込んで来るのではなく、内側から起こります。
4. 「ひそかに持ち込み」。 誰にでも調べさせるのではなく、こっそり持ち込みます。
5. 「自分たちをあがなって下さった主を否定して」。 核心はここです。
6. 動機は「貪欲……利をむさぼる」です。 金銭と情欲は、ほとんどいつも偽りの教えについてきます。
7. 着地点は9-10節の「主は……よくご存じ」です。 最後には、私たちが十分に賢いかどうかにかかっていません。
ウォームアップ:後になって模造品だと分かった物はありますか。そのとき、なぜ見抜けなかったのでしょうか。(初めて来た方も話せます)
リーダーのヒント:気軽に話しましょう。笑いの起こる時間になるでしょう。よくある答えは、本物にそっくりだった、売る人がとても親切だった、そのときはどうしても欲しかった、などです。この問いが後の話し合いへの橋渡しになります。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。予習していない方のために約1分)
この課で読むのは、ペテロの第二の手紙2章1節から10節です。ペテロは、かつて民の間ににせ預言者が起こったように、信徒たちの間にもにせ教師が現れると言います。彼らは滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなってくださった主を否定して、すみやかな滅亡を身に招きます。大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのため真理の道がそしられます。彼らは貪欲のために、甘言をもって人を欺き、利をむさぼります。神は罪を犯した御使たちをそのままにせず、古い世界に洪水を来たらせましたが、義を宣べ伝えたノアたち八人を守られました。またソドムとゴモラを破滅に処し、義人ロトを救い出されました。主は、信心深い者を試練の中から救い出し、不義な者を裁きの日まで罰しておく方法をよくご存じです。特に、汚れた情欲におぼれ、権威ある者を軽んじる人々は、大胆不敵なわがまま者で、栄光ある者たちをそしることを恐れません。関連箇所はマタイによる福音書24章です。誰かが「ここにキリストがいる」「あそこにいる」と言っても信じてはいけません。にせキリストとにせ預言者が現れ、大いなるしるしと奇跡を行い、できれば選民をも惑わそうとします。今日は「偽キリスト、偽預言者、偽教師を区別する」というテーマを一緒に考えます。
1. マタイ24:23-26を読みます。イエスによれば、彼らは何を行って人を惑わしますか。イエスは合計何回、「信じるな」と言っておられますか。
リーダーのヒント:大いなるしるしと奇跡を行います。「信じるな」と「出て行くな」を数えてみましょう。場所にも注目します。荒野と、へやの中です。
2. ペテロの第二の手紙2:1を読みます。この節にはどの二種類の人が出ますか。それぞれいつ、どこに現れますか。にせ教師は何をしますか。
リーダーのヒント:にせ預言者は「民の間に」起こったことがあり、にせ教師は「あなたがたの間にも」現れます。にせ教師は、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなってくださった主を否定します。
3. 2-3節と9-10節を読みます。偽りの教えに伴う二つのことは何ですか。彼らの動機は何ですか。9節にはどんな慰めがありますか。10節はどんな特徴を挙げていますか。
リーダーのヒント:放縦な行いと、真理の道がそしられることです。動機は貪欲で、甘言をもって利をむさぼることです。慰めは、主が信心深い者を試練の中から救い出す方法をよくご存じだということです。特徴は、大胆不敵でわがまま、栄光ある者たちをそしることを恐れないことです。
4. にせキリスト、にせ預言者、にせ教師という三つの呼び名は、それぞれ私たちの注意をどの面に向けますか。同じ人が二つ以上に当てはまることがあるのはなぜですか。また、しるしと奇跡だけで教えの正しさを証明できないのはなぜですか。
リーダーのヒント:この課の中心となる問いです。時間を十分に取りましょう。三つの呼び名は欺きの異なる面を明らかにし、重なり得ます。しるしと奇跡を判定基準にできないことは、イエスご自身があらかじめ語られました。私たちは普段、何を理由に教えを正しいと判断しているか尋ねてもよいでしょう。人が多いこと、熱烈な証し、涙を誘う語りでしょうか。
5.(時間があれば)「ひそかに持ち込み」という言葉自体が警報になるのはなぜでしょうか。
リーダーのヒント:真理は吟味を恐れず、「まだ外の人に話さないで」と言う必要もありません。「真理を愛するから、吟味する」の課で学んだベレヤの人々につなげられます。
6. この三種類の「偽りの主張」と、「一人の兄弟がある箇所を間違って説明したこと」には、どんな違いがありますか。
リーダーのヒント:間違った説明は正される必要がありますが、その人をすぐににせ教師と決めつけてはいけません。中心となる判定基準は、「自分たちをあがなってくださった主を否定する」ことです。キリストを否定することと、理解に誤りがあることは同じではありません。リーダーはこの点を明確にしてください。
7. 「昨夜、神が私に指示された」といった言葉を聞いたことがありますか。そのとき、どのように反応しましたか。(名前を挙げる必要はありません。初めて来た方は、これまで聞いた似た表現について話せます)
リーダーのヒント:リーダーがまず自分のことを話します。話の方向は、「その言葉が権威を誰の手に置くか」です。特定の人が霊的かどうかを評価することではありません。
8. 今週、この三つの判定基準のうち、どれを覚えておきたいですか。
リーダーのヒント:できるだけ具体的にしましょう。「イエス・キリストを主と認めるか」、「ひそかに伝えられる教えには注意する」、「しるしと奇跡を判定基準にできない」といったことです。次の行動リストにつなげます。
一人のメンバーにペテロの第二の手紙2:1、続いて2:9-10をゆっくり読んでもらい、皆で2分間静かにします。一人ひとり、自分に識別力が与えられるよう、また身近にいる、教えに流されやすい人のために祈ります。祈りたい人は名前を出さずに一言か二言祈ります。声に出したくない人は、黙って祈っても祈りです。初めて来た方は静かに聞くだけでよく、祈ることも意思表示もまったく求められません。最後にリーダーがまとめ、教会が健全な教えを保てるように祈ります。祈りの課題はグループの中にとどめ、デリケートな内容はAppに書かず、グループチャットにも投稿しません。通常、フォローする前に本人の同意を得て、必要な一、二文だけを個別に記録します。ただし、子どもや自分を守れない人の安全、または差し迫った自傷・他害の危険が関わる場合は、同意を条件とせず、直ちに現地の救急機関、警察、または適切な保護機関に連絡してください。
このように祈り始めることができます(祈りの方向):
主よ、あなたは、にせキリストとにせ預言者が起こり、大いなるしるしと奇跡を行うとあらかじめ教えてくださいました。あなたの使徒も、私たちの間ににせ教師が現れ、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなってくださった主を否定すると語りました。私たちは、にぎわいや力、心を動かす言葉に目を奪われがちです。あなたを正しく知り、偽りの主張を見分けられるようにしてください。兄弟姉妹に軽々しくレッテルを貼らず、同時に、波風を立てないために誤った教えに目を閉じることもないようにしてください。あなたのみことばには、主は信心深い者を試練の中から救い出す方法をよくご存じだとあります。私たち自身と、私たちの愛する人々をみ手にゆだねます。イエスのみ名によって祈ります。アーメン。
祈った後、次の中から一つを選び、今週実行してみましょう。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。話したければ、次の集まりで分かち合ってもかまいません。できなかったときは、何が妨げになったかを祈りの中で神にお話しください。
「彼らが伝えるのは、どのようなイエスか」(ヨハネの第一の手紙 4:1-6)または「真理を愛するから、吟味する」(使徒行伝 17:10-12)を選べます。