健全な教会, 第2課. 読む コリント人への第一の手紙 11:17-34. 集会では「今日は感動したか」だけを見て、聖餐や互いの関係には誰も心を留めない
中心聖句:コリント人への第一の手紙 11:17-34
パウロはコリントの人々を戒めるとき、「あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっている」と厳しく言いました。問題は儀式の手順を間違えたことではなく、**「各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある」**ことでした。パウロが示す答えも素朴です。**「食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。」**
私たちは集会を、自分の感じ方という物差しで評価しがちです。今日は感動したか、説教は自分の心に響いたか、賛美は良かったか、と考えます。
この物差しが間違っているわけではありません。ただし、測れるのは一人のことだけです。 それだけで測り続けると、聖餐は静かな個人の時間となり、隣にだれが座っているか、その人が今週どのように過ごしたかは、関係のないことになります。
コリント人への第一の手紙11章後半は、まさにこの二つを結び合わせます。
まず、パウロの率直な言葉を見てください。
あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。(第一コリント11:17)
その理由は、「あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争がある」ことでした(第一コリント11:18)。具体的には、どのような状態だったのでしょうか。
というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。(第一コリント11:21)
当時の集会は、一緒に食べる食事と結びついていました。 聖書が明記するのは、ある人が自分の食事を先に食べてしまい、飢えている人がいる一方で、酔っている人もいたということです。同じ部屋の中で、貧富や身分の差によって人が恥をかかされていました。 ⚠️ 当時の社会状況から、働いていた人や奴隷が遅れて来たのではないかと推測する人もいますが、聖書は具体的な経緯を記していません。
パウロは率直に問いただします。
あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。(第一コリント11:22)
「貧しい人々をはずかしめるのか」という言葉に注目してください。 パウロは、食べるものを持たない人の顔を見ています。
続いて彼は、主の言葉をそのまま示します。「わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである」(第一コリント11:23)。そして、次の二つの言葉です。
これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい。(第一コリント11:24)
この杯は、わたしの血による新しい契約である。(第一コリント11:25)
そして、「あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」とまとめます(第一コリント11:26)。聖餐が告げ知らせるのは、主の死です。 同時に、主が来られる時までを待ち望みます。
大切なのは、なぜパウロがここでこの言葉を引用したかです。彼は、「主があなたがたのためにご自身を与えたこと」を、「あなたがたが兄弟を飢えさせていること」の隣に置きました。 一つの食卓で主の自己犠牲を記念しているのに、その食卓に着く人々は先を争っています。この隔たりこそ、集まりが「損失」になっている理由です。
そこで、次の一節が語られます。
主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。(第一コリント11:29)
⚠️ 「主のからだをわきまえない」という言葉には、歴代二つの理解があります。一つは、パンと杯が表す主のからだをわきまえること。もう一つは、教会、すなわち身近にいる兄弟姉妹も主のからだであるとわきまえることです。 この表現の直接の意味をどちらに置くとしても、同じ文脈には「互に待ち合わせなさい」と、貧しい人々をはずかしめることへの戒めがあります。 どちらの理解も、身近な兄弟姉妹を無視することを許しません。
パウロが求めるのは、「自分を吟味」することです(第一コリント11:28)。互いを審査することではありません。また30節の、弱い人や病人が大勢おり、眠った人も少なくないという言葉は重いものです。パウロがこのことをきわめて深刻に受け止めていたことが分かります。 ⚠️ しかし、だれかが病気になったのは聖餐の受け方が悪かったからだという普遍的な規則にしてはいけません。聖書はそのように教えていません。
最後に、素朴な命令があります。
それだから、兄弟たちよ。食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。(第一コリント11:33)
「互に待ち合わせなさい」。この箇所は、実に具体的な言葉で結ばれます。 初代教会もこのような姿でした。「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」(使徒2:42)使徒たちの教え、交わり、パンをさくこと、祈りが結び合わされ、どれ一つも単独ではありません。
今日の私たちに当てはめると、いくつかの具体的なことが見えてきます。
第一に、聖餐にあずかる前に自分を吟味し、ほかの人を値踏みしないことです。 パウロが求めるのは、「だれでもまず自分を吟味」することです。 第二に、吟味には人間関係も含まれます。 罪を認めるべきところでは認め、助けを求めるべきところでは求めます。⚠️ すべての人間関係が整うまで聖餐にあずかれないのではありません。傷つけられた人に、まず自分を傷つけた相手へ連絡するよう求めることもしません。 第三に、「乏しい人」に目を留めます。 最近だれからも声をかけられていない人はだれか。集まりで、いつも最後にしか思い出されない人はだれか。「互に待ち合わせる」とは、具体的な行動です。 第四に、自分が属する教会の教えに従って聖餐にあずかります。 だれが、どのようにあずかるかについては、教会によって実践が異なります。この課は、自分の教会の教えに取って代わるものではありません。
ですから、この課の結びはこうなります。主の食卓は、一人ひとりを静かに主を覚えるよう招くと同時に、互いを待ち、共に主の死を告げ知らせる一つの群れにします。
1. 「利益にならないで、かえって損失になっている」。 集まり自体が人を損なうこともあります。パウロはこの言葉を避けませんでした。
2. 当時の集会は、一緒に食べる食事と結びついていました。 先に食べた人がいる一方、来たときに何も残っていない人がいました。
3. 「貧しい人々をはずかしめるのか」。 パウロは、その人の顔を見ています。
4. パウロがここで主の言葉を引用したのには、意味があります。 「あなたがたのための、わたしのからだ」が、兄弟を飢えさせる行動の隣に置かれています。
5. 「主のからだをわきまえない」には、歴代二つの理解があります。 文脈から、身近にいる兄弟姉妹を主のからだとして認めるという意味も、少なくとも含まれています。
6. パウロが求めるのは「自分を吟味」することです。 互いを審査することではありません。
7. 結びは「互に待ち合わせなさい」です。 短く、とても具体的な言葉です。
はじめに一言(リーダーが読み上げます)
グループで話されたことを、外で言い広めることはしません。ただし、例外があります。現在進行中の被害、子どもや弱い立場にある人の安全、または今すぐ自分や他人を傷つける危険が関わる場合、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常はまず本人とできる限り相談し、実際に助けられる人に必要な情報だけを伝えます。子どもや自分を守れない人が関わる場合、または差し迫った危険がある場合は、同意を得ることを前提とせず、状況に応じて牧師、資格のある専門家、地域の警察、救急・医療機関に連絡します。差し迫った危険があるときは、その場で助けを求め、本人を一人にしないでください。
ウォームアップ:人と一緒に食事をしたとき、自分だけよそ者のように感じたことがありますか。(職場の食事会や親戚の集まりでもかまいません。初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:気楽に話し、詳しい事情を聞き出さないでください。多くの人に似た経験があるでしょう。この問いが後の分かち合いにつながります。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。予習していない人のために、約1分)
この課では、コリント人への第一の手紙11章17-34節を読みました。パウロは、集まりが利益にならないで、かえって損失になっているので、彼らをほめるわけにはいかないと言います。教会に集まると互いの間に分争があり、一緒に集まっても主の晩餐を守ることができません。各自が自分の晩餐をかってに先に食べ、飢えている人がいる一方で、酔っている人もいました。神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめていたのです。主イエスは渡される夜、パンを取って、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」と言われました。食事の後には杯を取り、「この杯は、わたしの血による新しい契約である」と言われました。パンを食べ、杯を飲むごとに、主が来られる時まで主の死を告げ知らせます。だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ、杯を飲むべきです。主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、自分にさばきを招きます。最後にパウロは、「食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい」と言います。併せて使徒行伝2章も読みました。信徒たちは、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていました。今日は、主の食卓で何が大切かを、ともに分かち合います。
1. 17-22節を読みます。パウロは彼らの集まりをどのように評価していますか。具体的に何が起きていましたか。最後の問いは、だれに目を向けていますか。
リーダーへのヒント:利益ではなく損失になり、互いの間に分争があり、主の晩餐を守れませんでした。各自が自分の晩餐を先に食べ、飢えている人がいる一方で、酔っている人もいました。最後の問いは、貧しい人々が恥をかかされていることに目を向けています。
2. 23-26節を読みます。主はパンと杯を取ったとき、それぞれ何と言われましたか。26節によれば、これは何を告げ知らせ、いつまで続きますか。
リーダーへのヒント:パンについては、「これはあなたがたのための、わたしのからだである」と言われ、杯については、「この杯は、わたしの血による新しい契約である」と言われました。主が来られる時まで、主の死を告げ知らせます。
3. 27-34節を読みます。パウロは人に、どのような行動を求めていますか。最後に与えられた命令は何ですか。
リーダーへのヒント:だれでもまず自分を吟味します。最後の命令は「互に待ち合わせなさい」です。「もし空腹であったら、家で食べるがよい」という言葉にも注目してください。
4. パウロはなぜ、兄弟を飢えさせていることを戒める途中で、主が聖餐を定められた言葉をそのまま示したのでしょうか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ってください。一つの食卓で自己犠牲を記念しながら、その食卓に着く人々は先を争っていました。そこに大きな隔たりがあります。私たちは聖餐にあずかるとき、普段何を考えているでしょうか。
5.(時間があれば)「主のからだをわきまえない」とは、どの二つを指すと考えられますか。文脈はどちらにより重点を置いていますか。
リーダーへのヒント:一つは、パンと杯が表す主のからだです。もう一つは、教会、すなわち身近にいる兄弟姉妹です。文脈には「互に待ち合わせなさい」と、貧しい人々をはずかしめることへの戒めがあるため、少なくとも二つ目の意味も含まれます。どちらの理解も同じ結論を指します。
6. 「自分を吟味」することと、「互いを審査」することはどう違いますか。吟味には、人間関係も含まれるでしょうか。
リーダーへのヒント:パウロが求めるのは前者です。吟味は、この一週間にどんな罪を犯したかだけを調べることではありません。人間関係を主の前へ持っていき、罪を認めるべきところでは認め、助けを求めるべきところでは求めます。吟味の目的は人を主のみもとへ戻すことであって、主の食卓から締め出すことではないと明確にしてください。傷つけられた人に、まず自分を傷つけた相手へ連絡することも求めません。
7. 前回、聖餐にあずかったとき、何を考えていましたか。そばにいる人のことも思いましたか。(初めて来た方は、ほかの人が聖餐にあずかるのを見たときの気持ちを話せます)
リーダーへのヒント:まずリーダーが、自分の心がほかへ向いてしまったときも含めて話してください。だれの考え方が正しいかを評価しないでください。
8. 今週、あなたにとって「互に待ち合わせる」とは、どのような具体的なことですか。
リーダーへのヒント:できるだけ具体的にしましょう。だれかと一つのことを率直に話す、最近だれにも気にかけられていない兄弟姉妹へ声をかける、次の集まりに10分早く来て最初に来た人と過ごす、などです。次の行動リストも、これに沿って選びます。
まず一人に第一コリント11:24-26と11:33をゆっくり読んでもらい、三分間静まります。一人ひとりが自分を吟味します。主の前で認めるべきこと、または助けを求めるべきことがあるでしょうか。祈りたい人は、名前を出さずに一、二文で祈ってください。声に出したくない人は、黙って祈っても同じく祈りです。初めて来た方は、静かに聞いているだけでよく、祈ったり意思表示をしたりする必要はまったくありません。最後にリーダーがまとめ、次に共に聖餐へあずかるときのために祈ります。祈りの課題はグループ内にとどめ、デリケートな内容はアプリにもグループチャットにも書きません。通常、継続して支える必要がある場合はまず本人の同意を得てから、必要なことを一、二文だけ非公開で記録します。ただし、子どもや自分を守れない人の安全、または今すぐ自分や他人を傷つける危険に関わる場合は、同意を前提とせず、直ちに地域の救急、警察、適切な保護機関へ連絡します。
次のように始めることができます(祈りの方向):
主イエスよ、あなたは渡される夜、パンを取って、「これはあなたがたのための、わたしのからだである」と言われました。私たちは、あなたの食卓を自分一人の時間のように考え、隣の兄弟が飢えていても気づかないことがあります。ほかの人を値踏みするのでなく、自分を吟味させてください。人との間で未解決のままにしていることを明らかにし、和解へ向かう勇気もお与えください。あなたの言葉は、「食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい」と教えます。互いに待つことを教えてください。私たちはパンを食べ、杯を飲むごとに、あなたが来られる時まで、あなたの死を告げ知らせます。あなたの御名によって祈ります。アーメン。
祈りの後、下から一つ選んで今週行ってください。一つで十分です。今すぐ選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。よければ、次の集まりで話してください。できなかった場合は、どこで難しさを感じたかを祈りのうちに神へ持っていきましょう。
エペソ2:11-22を扱う「神の家、キリストのからだ」の課、または第二コリント2:5-11を扱う「戒規は立ち返らせるため」の課を選ぶことができます。