小グループのリーダー:小さな群れを牧する, 第5課. 読む エゼキエル書 34:1-16. 活発で導きやすい人だけを見て、初めて来た人、静かな人、生活が一時的に乱れている人を長く見落とす
中心聖句:エゼキエル書 34:1-16
神がイスラエルの牧者たちの責任を問いただされた箇所には、彼らがしなかった五つのことが並んでいます。「弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず」。⚠️ 神は、彼らが群れを利用して虐げたことだけでなく、この五つの務めを怠ったことも追及されました。**この課では、見過ごされがちな後者の怠りに特に目を留めます。** そして同じ章の終わりで、神はそのうち四つを引き受け、「わたしは」と約束されます。
長くグループを導いていると、自然に「中心の輪」ができます。いちばん欠かさず来て、よく発言し、関わりやすい数人です。意図してそうしたわけではなくても、時間がたつうちに、物静かな人や少しずつ来なくなった人が見えなくなっていきます。
そして、何人かが静かに離れていきます。初めて来た人が二度目には来なくても、だれも尋ねません。いつも黙っているあの人が最近どうしているか、だれも知りません。家で大変なことが起き、何週間も顔を見せていない人もいます。みんなが、だれかほかの人がもう連絡しただろうと思っているのです。
エゼキエル書34章1-16節は、務めを怠った牧者たちを厳しく責める聖書箇所です。
⚠️ はじめにはっきりさせておきましょう。この章で責められているのはイスラエルの牧者たちです。おもに当時、民を治めていた指導者たち、特に王たちを指しています。彼らの職務怠慢によって、国全体が散らされました。私たちの小さなグループとは、責任の重さがまったく違います。 それでも、この鏡には私たちの姿も映ります。
まず、この告発を見てください。
「わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。牧者は群れを養うべき者ではないか。」(エゼキエル34:2)
続いて、具体的にこうあります。「ところが、あなたがたは脂肪を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふるが、群れを養わない。」(エゼキエル34:3)彼らは羊から取り上げるばかりで、羊には何も与えませんでした。
次に、この節を一つずつ数えてみましょう。
「あなたがたは弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず、彼らを手荒く、きびしく治めている。」(エゼキエル34:4)
五つの「しなかったこと」です。 その前の節ですでに、彼らが羊を利用し、虐げたことが責められています。この節は、彼らがしなかったことを数え上げています。リーダーとしての怠りには、見落としやすいものがあります。まさにこの怠り、つまり、こちらから気にかけるべき時に、何もしないでいたのではないかということです。
その結果は明確です。「彼らは牧者がないために散り、野のもろもろの獣のえじきになる。」(エゼキエル34:5)「わが羊は散らされている。彼らはもろもろの山と、もろもろの高き丘にさまよい、わが羊は地の全面に散らされているが、これを捜す者もなく、尋ねる者もない。」(エゼキエル34:6)「これを捜す者もなく、尋ねる者もない」。グループを導く者がこの言葉を読むと、その重さが胸に迫ります。
そこで神ご自身が立ち上がられます。「見よ、わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め」(エゼキエル34:10)、また「わが羊を彼らの口から救って」(エゼキエル34:10)と言われます。羊は神のものです。神は牧者たちに責任を問われます。
そして、ここからこの章は方向を転じます。全体の中で最も温かい箇所です。
「主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。」(エゼキエル34:11)
「わたしはみずからわが羊を飼い、これを伏させると主なる神は言われる。」(エゼキエル34:15)
最後の節は、第4節のうち四つに明確に応えています。
「わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。」(エゼキエル34:16)
牧者たちがしなかったことを、神は「わたしがする」と言われます。 第4節と第16節を並べて読んでみてください。うせた者を尋ね、迷い出た者を引き返し、傷ついた者を包み、弱った者を強くする。一方には「あなたがたはしなかった」とあり、もう一方には神の「わたしは」という約束があります。さらに第16節には、強い者への監督と、「公平をもって」養うことが加えられています。ここにあるのは責めだけではありません。これは希望です。 まことの牧者は神ご自身です。やがて受肉された主は、「わたしはよい羊飼である」と言われました。
⚠️ 第16節後半の強い者を監督するという言葉は重いものです。すぐ後には、羊同士の間にある虐げが語られます。今日はそこまで詳しく扱いません。ただ、神が「公平をもって」養われるとは、虐げられた者を救うと同時に、虐げる者の責任を問うことでもあると覚えておきましょう。
これを四つの具体的な行動にしてみましょう。
一、名前を書き出す。 記憶だけに頼れば、必ずだれかが抜けます。グループの一人ひとりの名前を並べ、その横に「最後にこの人と話したのはいつか」と書いてみてください。名簿は現実を教えてくれます。 二、欠席は判断材料ではなく、合図です。 二回休んだからといって、すぐに「この人は大切にしていない」と決めつけないでください。「最近どうしていますか」と、何も要求せずに一言メッセージを送りましょう。 三、「尋ねる」は動詞です。 この箇所では、待つことは尋ねることと同じではありません。神が用いられる言葉は、捜し、尋ねるという言葉です。 四、一人で背負わない。 十数人のグループなら、リーダー一人ですべての人を訪ねることはできません。二、三人に助けてもらい、それぞれが数人を気にかけられるようにしましょう。これは「力を超える時、助ける人を招く」という課でも扱う内容です。
この課で心に留めたいのは、次のことです。大牧者のもとで、物静かな人、傷ついている人、見過ごされている人、少しずつ離れていく人に目を留め、急かしたり責めたりせずに、こちらから声をかけましょう。 私たちの手が届かない人は、羊を自ら尋ねられる神に委ね続けます。
1. この章で責められているのはイスラエルの牧者たちです。 おもに当時、民を治めた指導者たち、特に王たちを指しており、私たちのグループよりはるかに重い責任を負っていました。
2. 「自分自身を養う」。 彼らは羊から取り上げるばかりで、羊には何も与えませんでした。
3. 第4節には、しなかったことが五つあります。 その前ですでに利用と虐げが責められ、この節では務めを怠ったことが数え上げられています。
4. 「これを捜す者もなく、尋ねる者もない」。 ここがこの箇所で最も重い言葉です。
5. 「わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め」。 羊は神のものです。神は牧者たちに責任を問われます。
6. 第16節は第4節のうち四つに明確に応えています。 牧者たちがしなかったことを、神は「わたしがする」と言われ、さらに監督と「公平をもって」養うことを加えられます。
7. 「わたしはみずからわが羊を飼い」。 ここにあるのは責めだけではなく、希望です。
はじめに一言(リーダーが読み上げます)
グループで話されたことを、外で言い広めることはしません。ただし、例外があります。現在進行中の被害、子どもや弱い立場にある人の安全、または今すぐ自分や他人を傷つける危険が関わる場合、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常はまず本人とできる限り相談し、実際に助けられる人に必要な情報だけを伝えます。子どもや自分を守れない人が関わる場合、または差し迫った危険がある場合は、同意を得ることを前提とせず、状況に応じて牧師、資格のある専門家、地域の警察、救急・医療機関に連絡します。差し迫った危険があるときは、その場で助けを求め、本人を一人にしないでください。
ウォームアップ:ある集まりから離れかけたとき、だれかがあなたに声をかけてくれたことがありますか。そのとき、どんな気持ちでしたか。(学校、職場、友人の輪でもかまいません。初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:気楽に話せる問いですが、気持ちが動くこともあります。「だれも訪ねてこなかった」と言う人の言葉も、きちんと受け止めてください。この問いが後の分かち合いにつながります。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。予習していない人のために、約1分)
この課では、エゼキエル書34章1-16節を読みました。主の言葉がエゼキエルに臨み、イスラエルの牧者たちに預言するよう命じました。牧者たちは自分自身を養い、脂肪を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふりながら、群れを養いませんでした。弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず、手荒く、きびしく治めました。そのため羊は散り、野の獣のえじきとなり、地の全面に散らされても、捜す者も尋ねる者もいませんでした。神は牧者らの敵となり、羊を彼らの手に求めると言われました。そして、神みずから羊を尋ねて捜し出し、ご自分で羊を飼って伏させ、うせた者を尋ね、迷い出た者を引き返し、傷ついた者を包み、弱った者を強くすると約束されました。今日は、「沈黙する人、周縁にいる人に気づく」ということについて、ともに分かち合います。
1. 2-4節を読みます。神によれば、牧者たちは何だけをしていましたか。第4節には、彼らがしなかったことがいくつありますか。一つずつ数えてみましょう。
リーダーへのヒント:自分自身を養っていました。脂肪を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふっていました。五つあります。弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねませんでした。
2. 5-10節を読みます。羊はどのような状態になりましたか。神は牧者たちをどうすると言われましたか。
リーダーへのヒント:牧者がいないため羊は散り、野の獣のえじきとなり、地の全面をさまよいました。捜す者も尋ねる者もいませんでした。神は牧者らの敵となり、羊を彼らの手に求め、彼らが群れを養うのをやめさせると言われました。
3. 11-16節を読みます。神は羊のために何をすると約束されましたか。第16節の四つの行動は、第4節にどのように応えていますか。
リーダーへのヒント:神みずから羊を尋ねて捜し出し、諸国民の中から連れ出し、集め、元の国へ導き、良い牧場で養い、伏させると約束されました。口語訳の第16節は、第4節のうち四つに応えています。うせた者を尋ね、迷い出た者を引き返し、傷ついた者を包み、弱った者を強くします。さらに強い者を監督し、「公平をもって」養われます。
4. 神は、彼らが群れを利用し、虐げたことを責めるだけでなく、彼らがしなかった五つのことについても責任を問われました。後者の怠りは、なぜ特に見落とされやすいのでしょうか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ってください。自分を振り返るとき、私たちはたいてい「間違ったことを言わなかったか、しなかったか」だけを調べ、「尋ねに行ったか」をあまり問いません。一人ひとり、気にかけるべきだれかを見過ごしていないか、心の中だけで考えてみましょう。 名前を口にしたり、欠席者をグループで数え上げたりしないでください。
5.(時間があれば)「わたしはみずからわが羊を飼い」。この言葉は、リーダーをどのように慰め、同時に気を緩ませないようにするでしょうか。
リーダーへのヒント:この群れを本当に養うのは神であり、私たちが自分の力だけで支えるのではないという慰めがあります。同時に、神ご自身が尋ねに行かれる以上、そのもとにいる者が何もしないことは許されません。主イエスの「わたしはよい羊飼である」という言葉につなげてもよいでしょう。
6. 「尋ねる」ことと、「戻ってくるのを待つ」ことは、どう違いますか。
リーダーへのヒント:この箇所では、待つことは尋ねることと同じではありません。こちらから出て行き、声をかけます。同時に、尋ねることは催促することでもありません。「どうしてこんなに長く来ないのですか」と責めずに、気遣いましょう。
7. 今、グループの一人ひとりの名前を心に思い浮かべてください。最後に話したのがいつか思い出せない人はいませんか。(名前を言う必要はありません。初めて来た方は、自分の周りの人を思い浮かべてください)
リーダーへのヒント:まずリーダーが自分の感じたことを話してください。静かになる問いです。十分に時間を取り、互いを責め合う時間にしないでください。
8. 今週、あなたはだれに連絡しますか。どのように声をかけますか。
リーダーへのヒント:できるだけ具体的にしましょう。メッセージを一通送る、一緒に食事をする、電話を一本かけるなどです。最初の一言を実際に言ってもらい、催促のように聞こえないか、皆で確かめましょう。次の行動リストも、これに沿って選びます。
まず一人にエゼキエル34:4をゆっくり読んでもらい、続いて34:15-16を読んでもらいます。三分間静まり、一人ひとりが、少しずつ離れているだれかのために、名前を口にせず心の中で祈ります。祈りたい人は一、二文で祈ってください。声に出したくない人は、黙って祈っても同じく祈りです。初めて来た方は、静かに聞いているだけでよく、祈ったり意思表示をしたりする必要はまったくありません。最後にリーダーがまとめ、神ご自身がその人たちを尋ねてくださるよう祈ります。祈りの課題はグループ内にとどめ、デリケートな内容はアプリにもグループチャットにも書きません。通常、継続して支える必要がある場合はまず本人の同意を得てから、必要なことを一、二文だけ非公開で記録します。ただし、子どもや自分を守れない人の安全、または今すぐ自分や他人を傷つける危険に関わる場合は、同意を前提とせず、直ちに地域の救急、警察、適切な保護機関へ連絡します。
次のように始めることができます(祈りの方向):
主よ、あなたは、「わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし」と言われました。私たちは、目の前にいる数人のことだけに心を奪われ、少しずつ離れている人を尋ねに行かなかったことを告白します。相手が自分から戻ってくるのを待っていたこともあります。「わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す」と言ってくださることを感謝します。この人たちはまずあなたの羊であり、あなたは私たち以上に心にかけておられます。私たちを遣わし、ふさわしい言葉を与えてください。私たちの手が届かない人たちを、あなたご自身が捜し出してください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈りの後、下から一つ選んで今週行ってください。一つで十分です。今すぐ選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。よければ、次の集まりで話してください。できなかった場合は、どこで難しさを感じたかを祈りのうちに神へ持っていきましょう。
「力を超える時、助ける人を招く」の課(使徒6:1-7)、または「群れの模範となる」の課(第一ペテロ5:1-4)を選ぶことができます。