小グループの聖書の学びを導く, 第6課. 読む エゼキエル書 33:30-33. 適用の問いが漠然とした決心になり、翌週には何も変わっていない
中心聖句:エゼキエル書 33:30-33
神はエゼキエルに厳しい言葉を告げました。「見よ、あなたは彼らには、美しい声で愛の歌をうたう者のように、また楽器をよく奏する者のように思われる。彼らはあなたの言葉は聞くが、それを行おうとはしない。」**皆が「とてもためになった」と言う聖書の学びでも、何も変わらないことがあります。** イエスはこのことを二軒の家にたとえました。聞いて行う人は、岩の上に家を建てる人です。
聖書の学びを導く人は、ある反応に満足しやすいものです。集会が終わったとき、皆が「今日は本当によかった」と言うことです。 それが心からの言葉であり、みことばを理解し、慰めを受け、互いに建て上げられたのであれば、それも確かな実です。けれども、そこで終わることはできません。 神の言葉は、私たちの信頼、選択、日々の生活にまで入っていく必要があります。
エゼキエル書33章の終わりにある数節は、まさにこの光景を、容赦のない言葉で描いています。
まず、その聴衆がどれほど熱心だったかを見てください。
人の子よ、あなたの民の人々は、かきのかたわら、家の入口で、あなたの事を論じ、たがいに語りあって言う、『さあ、われわれは、どんな言葉が主から出るかを聞こう』と。(エゼキエル 33:30)
彼らは互いに声をかけ合って来ていました。 垣のそばや家の入口で預言者について語り、誘い合っていたのです。無関心な会衆ではありません。
続いて、こうあります。
彼らは民が来るようにあなたの所に来、わたしの民のようにあなたの前に座して、あなたの言葉を聞く。しかし彼らはそれを行わない。彼等は口先では多くの愛を現すが、その心は利におもむいている。(エゼキエル 33:31)
二度出てくる「ように」が鍵です。 外から見れば、すべてが整っています。彼らは来て、座り、神の民のように見えました。しかし神は節の後半で、その隔たりを指摘します。口と心が同じ方向を向いていません。
32節は、さらに胸に刺さる言い方をします。
見よ、あなたは彼らには、美しい声で愛の歌をうたう者のように、また楽器をよく奏する者のように思われる。彼らはあなたの言葉は聞くが、それを行おうとはしない。(エゼキエル 33:32)
彼らにとって、預言者は美しい音楽のような存在でした。 心を傾けて味わい、聞き終えた後も余韻に浸ります。しかし、行おうとはしません。 ここでそのように扱われているのは、神が預言者を通して語られた言葉です。その状況は、私たちの小グループよりはるかに深刻です。それでも、「喜んで聞きながら行わない」という形は同じです。
イエスは同じことを、一つの情景で語られました。
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。(マタイ 7:24)
二人とも同じ言葉を聞き、どちらの家にも雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹きつけました。決定的な違いは、その言葉を行ったかどうかです。 家が倒れないということは、まず、真の弟子の命が最後に明らかにされる時にも立つことを指しています。従えば人生に嵐がなくなる、という約束ではありません。 賢い人の家は「倒れることはない。岩を土台としているからである」(マタイ 7:25)。もう一軒の家は「倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」(マタイ 7:27)のです。
そう考えると、聖書の学びをどう締めくくるかは、付け足しではありません。実際にできることがいくつかあります。
一、十分な時間を残す。 適用を最後の3分に押し込めば、それは大切ではないと伝えるのと同じです。解釈の問いを一つ減らすほうがよいこともあります。 二、一つのこと、一人の人、今週という範囲まで具体化する。 「もっと主を愛する」は行動ではありません。「今週、あの人を一度食事に誘う」なら具体的です。 三、本人に言葉にしてもらい、リーダーが代わりに決めない。 リーダーが考えたことは、多くの場合、その人には続けられません。 四、次回の初めにグループ全体へ一度だけ尋ねる。 一人ずつ追及せず、達成状況も記録しません。「前回のあのみことばは、今週もあなたと共にありましたか。助けられたことや、難しかったことがあれば、話したい方はどうぞ。」 五、まずリーダー自身が行う。 これが最も重みを持ち、誰にも代わってもらえないことです。
もう一つ、反対方向への揺り戻しにも注意が必要です。「行うこと」を、自分の力だけで頑張ることにしてはいけません。 イエスは「わたしのこれらの言葉を聞いて行う」と言われました。まずイエスの言葉があり、そこから歩む道が示されます。それを行う力も神が与えてくださいます。 行動によって何かを勝ち取るのではありません。イエスの言葉を信じるからこそ、その言葉に従うのです。
ですから、この課の着地点はこうです。集会の終わりに、まずイエスの言葉と、すでに受けた恵みに立ち返りましょう。 そして、どう応答するかを聖霊に示していただきます。そのうえで、望む人は小さな一歩と、「神や兄弟姉妹にどのような助けを求めたいか」を書き留めます。
1. 彼らは互いに声をかけ合って来ました。 無関心な会衆ではなく、熱心に聞きに来た人々です。
2. 二度出てくる「ように」。 外から見れば、すべてが整っています。彼らは来て、座り、神の民のように見えました。
3. 隔たりは「口と心」にあります。 口先では多くの愛を現しながら、心は利に向かっています。
4. 「美しい声で愛の歌をうたう者のように」。 神の言葉を、美しい音楽のように味わうだけになっています。
5. 「聞くが、行わない」という指摘が二度あります。 30節から33節までの四節の中で、神は同じ問題を二度語られます。
6. それは神が預言者を通して語られた言葉です。 状況は私たちの小グループよりはるかに深刻ですが、その形から学ぶことはできます。
7. マタイ7章の二軒の家は、同じ言葉を聞き、同じ嵐に遭いました。 決定的な違いは、行ったかどうかです。これは真の弟子の命について語るもので、従えば嵐がなくなるという意味ではありません。
ウォームアップ:聞いているときはとても役に立ったのに、その後何も変わらなかった言葉や講座はありますか。(学習、健康、お金の管理など、何でも構いません。初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:気軽に話し、すぐに大きな教訓へ結びつけないでください。これは間違いを告白させる問いではなく、誰にでもよくあることだと認めるための問いです。後の話し合いへの入口になります。
この課の振り返り(リーダーが読みます。予習していない人のために、約1分)
この課では、エゼキエル書33章30節から33節を読みました。主は言われました。人の子よ、あなたの民の人々は、かきのかたわら、家の入口で、あなたの事を論じ、たがいに語りあって、「さあ、われわれは、どんな言葉が主から出るかを聞こう」と言います。彼らは民が来るようにあなたの所に来、わたしの民のようにあなたの前に座して、あなたの言葉を聞きます。しかし彼らはそれを行いません。彼等は口先では多くの愛を現しますが、その心は利におもむいています。預言者は、美しい声で愛の歌をうたう者のように、また楽器をよく奏する者のように思われています。彼らはその言葉を聞きますが、行おうとはしません。この事が起る時――これは必ず起る――そのとき彼らの中にひとりの預言者がいたことを、彼らは悟ります。対照となるのはマタイによる福音書7章です。イエスの言葉を聞いて行う人は、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえられます。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、岩を土台としているので倒れません。イエスの言葉を聞いても行わない人は、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえられます。同じように雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、家は倒れ、その倒れ方はひどいのです。今日は、聞いた後に行うことについて一緒に考えます。
1. 30節を読んでください。この人々は、神の言葉を聞くことにどのような態度を示していますか。
リーダーへのヒント:垣のそばや家の入口で預言者について語り、互いに「さあ」と誘い合いました。無関心ではなく、熱心に聞きに来た人々です。
2. 31節から32節を読んでください。彼らが外からは正しく「見える」ことを、神はどの言葉で表していますか。また、どこに隔たりがあると指摘していますか。
リーダーへのヒント:「民が来るように」「わたしの民のように」です。隔たりは、口先では多くの愛を現しながら心は利に向かい、言葉を聞いても行わないことにあります。32節では、預言者が愛の歌をうたう者にたとえられています。
3. マタイ7:24-27を読んでください。二軒の家に共通することは何ですか。違うのは何ですか。
リーダーへのヒント:同じ言葉を聞き、どちらにも雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹きました。違うのは、聞いた言葉を行ったかどうかです。「その倒れ方はひどい」にも注目してもらえます。
4. メッセージを味わうことと、イエスの言葉に従って自分の選択をすることには、どのような違いがありますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いなので、十分な時間を取ります。エゼキエル33:32の「愛の歌をうたう者のように」という言葉と照らし合わせてください。深く感動するほど、すでに受け入れたと思い込みやすいことがあります。ただし、計画を口にすること自体が岩の土台なのではありません。イエスの言葉を聞いて行うことが土台です。
5.(時間があれば)「聞くが、行わない」という指摘は、この四節で二度繰り返されています。神はなぜ同じことを繰り返して言われたのでしょうか。
リーダーへのヒント:繰り返しそのものが強調です。神はまず彼らがどれほど熱心かを語り、それからこの問題を指摘されました。これは無関心な人だけに向けられた言葉ではありません。
6. 「行うこと」は、自分の力だけで頑張ることにならないでしょうか。どのように見分けられますか。
リーダーへのヒント:イエスは、ご自分の言葉を聞いて行うことを語られました。まずイエスの言葉があり、そこから歩む道が示されます。力も神が与えてくださいます。行動で何かを勝ち取るのではなく、その言葉を信じるからこそ従うのです。ここでは恵みをはっきり伝えてください。
7. この3か月を振り返ってください。聖書の学びをきっかけに、実際に何かを行ったことはありますか。(できるだけ具体的に話してみましょう。すぐに思い出せなくても自然なことなので、そのまま正直に話してかまいません。初めて来た方は、これまで聞いたどんな教えについてでも話せます)
リーダーへのヒント:リーダーが先に自分のことを話してください。思い出せない学びがあったことも含めます。互いを比べる問いにしないでください。
8. 2分間静かに過ごします。よければ、今週できるふさわしい応答を一つと、どのような助けが必要かを書いてください。(話しても、自分だけに留めても構いません)
リーダーへのヒント:指名せず、公に約束するよう求めません。まず祈り続ける、さらに調べる、誰かに助けを求めることも、誠実な応答です。本人の代わりに考えず、本人が話した後に要求を上乗せしないでください。この後の行動リストも、今書いたことをもとに選びます。
まず一人がエゼキエル33:31-32をゆっくり読み、続いてマタイ7:24-25を読みます。3分間静かに過ごし、一人ひとりが先ほど考えたことを、心の中で主に申し上げます。望む人は一言か二言祈ってください。声に出したくない人は静かに祈っても構いません。初めて来た方は静かに聞いているだけでよく、祈りや信仰の表明を求められることはありません。最後にリーダーが祈り、行う力も神が与えてくださるよう求めます。祈りの課題は小グループの中に留め、個人的で繊細なことはAppやグループチャットに書きません。通常、後で支えるために記録する必要があるときは、まず本人の同意を得て、必要な一、二文だけを非公開で残します。ただし、子どもや自分を守れない人の安全に関わる場合、または自傷や他害の差し迫った危険がある場合は、同意を前提にせず、直ちに地域の救急、警察、または適切な保護機関へ連絡してください。
次のように祈り始めることができます(祈りの方向):
主よ。あなたはエゼキエルを通して、人々があなたの言葉を聞いても行おうとしなかったと語られました。私たちも、心を傾けて聞いたのに、集会が終わると忘れてしまうことがあります。主イエスよ。あなたの言葉を聞いて行う人は、岩の上に家を建てた賢い人にたとえられます。あなたの言葉を美しい音楽として味わうだけで終わらせず、それを行う力も与えてください。私たちは自分の努力で何かを勝ち取るのではありません。あなたの言葉を信じるからこそ、従います。私たちの小グループを守り、あなたの言葉を味わうだけでなく家へ持ち帰り、日々の生活に根づかせてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、下から一つ選び、今週行ってみましょう。一つで十分です。すぐに選べなくても構いません。
記録や報告は必要ありません。望むなら、次回の集まりで話すことができます。できなかったときは、難しかったことをそのまま祈りに持っていきましょう。
「導く人がまずみことばの下に座る」の課(ネヘミヤ記 8:1-12)、または「一人ひとりが参加できるようにする」の課(コリント人への第一の手紙 14:26-33)を選べます。