人生のさまざまな境遇, 第21課. 読む サムエル記上 24 章. 自分を傷つけた人が苦境に陥り、「やっと彼の番だ」という思いが心をよぎる
中心聖句:サムエル記上 24 章
サウルは何年もダビデを追い、命を狙っていました。その日、サウルはたまたま、ダビデが隠れていた洞窟へ一人で入って来ました。従者たちは、今こそ時が来たと言いました。しかしダビデは上着のすそを少し切っただけで、そのことさえ後から心の責めを感じました。彼は言います。主があなたと私の間を裁かれますように。しかし私は、自分の手であなたを害しません。
自分を傷つけた人が、後になって立場を失ったり、関係が壊れたり、病気になったり、仕事を失ったりすることがあります。その瞬間、心にこんな言葉がよぎることがあります。ついにあの人の番が来た。 口にすれば冷たい人だと思われそうですが、確かに心にある思いです。
サムエル記上24章には、本当にその機会を手にした人の一日が記されています。
サウルは精鋭三千人を率い、エンゲデの辺りでダビデを捜していました。道の途中、羊のおりのそばに洞窟があり、サウルは用を足すために中へ入りました。その時、ダビデと従者たちは洞窟の奥にいたのです(サムエル記上 24:3)。
従者たちはすぐに、とても説得力のある説明をしました。
ダビデの従者たちは彼に言った、「主があなたに告げて、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。あなたは自分の良いと思うことを彼にすることができる』と言われた日がきたのです」。(サムエル記上 24:4)
この言葉の形に注目してください。彼らは目の前の機会を、神がすでに語られたことだと解釈しました。 聖書はこれ以前に、「サウルを思いどおりに扱ってよい」という明確な約束を記していません。彼らは「ダビデが王になる」という約束をそこまで押し広げたのかもしれませんし、聖書に記録されていない言葉を引用したのかもしれません。どちらにしても、本文はダビデにサウルを殺す権限を与えてはいません。 機会は目の前にあり、理由もそろい、しかもいかにも「信仰的」に聞こえました。
ダビデは立ち上がりましたが、ひそかにサウルの上着のすそを切っただけでした。その後、こうあります。
しかし後になって、ダビデはサウルの上着のすそを切ったことに、心の責めを感じた。(サムエル記上 24:5)
上着のすそを少し切っただけでも、彼は心の責めを感じました。 聖書は、その理由のすべてを説明してはいません。少なくとも確かなのは、主が油を注がれた者に対して自分がしたことは、すでに一線を越えていたと考えたことです。彼は従者たちに、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる」(サムエル記上 24:6)と言い、その言葉で彼らを制して、サウルを討つことを許しませんでした(サムエル記上 24:7)。自分が手を下さなかっただけでなく、ほかの人が代わりに手を下すことも止めたのです。
サウルが洞窟を出ると、ダビデは後ろから「わが君、王よ」と呼び、地にひれ伏しました。そして、はっきりと事実を語りました。なぜ人の中傷を聞くのか。今日、主があなたを私の手に渡されたことを、あなた自身が見た。あなたを殺すように勧めた人もいたが、私はあなたを惜しんだ。あなたの上着のすそが私の手にあるのを見てほしい、と(サムエル記上 24:9-11)。
最も大切なのは、次の言葉です。
どうぞ主がわたしとあなたの間をさばかれますように。また主がわたしのために、あなたに報いられますように。しかし、わたしはあなたに手をくだすことをしないでしょう。(サムエル記上 24:12)
彼は「もういい、このことは水に流そう」とは言いませんでした。 正邪を裁き、自分のために報いてくださることを神に委ね、自分では手を下さなかったのです。この二つを区別する必要があります。復讐しないことは、何も起こらなかったふりをすることでも、相手に非がなかったと言うことでもありません。
サウルはそれを聞いて声をあげて泣き、「あなたはわたしよりも正しい」と認めました(サムエル記上 24:16-17)。しかし聖書は正直です。後にサウルは再びダビデを追って殺そうとしました。赦すことは、相手が必ず良くなるという保証ではありません。
新約聖書は、この道をはっきりと説明しています。
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。(ローマ 12:19)
ここをよく聞いてください。「復讐はわたしのすること」とは、この出来事がなかったことになるという意味ではありません。誰が正しく裁くのか、という意味です。 報復を手放しても、傷がすぐ消えるとは限りません。何度も祈る必要があることも、牧会的あるいは専門的な助けが必要なこともあります。それでも神に委ねるなら、自分の手で復讐しなくてよくなり、憎しみに支配される力も少しずつ弱まっていきます。
ここから、具体的なことをいくつか考えます。
第一に、「機会+理由」という組み合わせに気づくことです。 従者たちの言葉には、神の言葉まで引用されていました。胸のすくようなことをしたい時ほど、私たちは信仰的に聞こえる説明を見つけやすいものです。
第二に、自分の手も、ほかの人の手も使わないことです。 そのメッセージを送らない。グループチャットで名指ししない。ほかの人に情報を広めさせ、相手を辱めない。ダビデは従者たちまで止めました。ただし、保護や調査の責任を持つ人に報告することは、正当な責任追及であり、他人を使った復讐ではありません。
第三に、安全で適切な時に、事実を明らかにすることです。 ダビデは事実を公にし、証拠となる上着のすそも残しました。復讐しないことは、事実を明らかにしないことではありません。 ただし、暴力、嫌がらせ、力関係の大きな差がある場合は、直接対決を求めてはいけません。 証拠を保存し、信頼できる第三者や正式な窓口を通して対応します。
第四に、必要な手続きを進めることです。 相手の行為が法律や規則に違反するなら、法的手続きや正当な窓口を利用することは復讐ではなく、正義の一部です。復讐とは、自分で勝手に報復することです。責任追及とは、扱う責任を持つ人に事実を委ねることです。
第五に、心の中の「ついにあの人の番だ」という声に気づくことです。 その思いはすぐには消えないかもしれません。それでも神にありのまま話し、育て続けないようにしましょう。敵の災いを喜ばないことは、聖書が明言しています。
第六に、異なることを区別することです。 復讐しないこと、心で赦すこと、信頼を回復すること、もう一度関係に入ることは、それぞれ別のことです。この章が直接示しているのは、私的な報復を手放すことです。被害を受けた人に、すぐ関係を回復するよう求めてはいません。
1. 機会は本当にありました。 サウルは一人で洞窟に入り、ダビデの部下たちは奥にいました。聖書はこれを仮定の話として書いていません。
2. 「その日がきた」と言ったのは、周りの人の解釈でした。 聖書はそれ以前に、そのような明確な約束を記していません。彼らは機会を神の言葉だと言い換えました。自分の望みに合い、しかも信仰的に聞こえる推論には注意が必要です。
3. 上着のすそを少し切っただけでも、心の責めを感じました(5節)。 聖書は理由のすべてを説明していません。少なくともダビデは、主が油を注がれた者に対するこの行為が一線を越えたと考えました。
4. 彼は従者たちを止めました(7節)。 自分で手を下さず、ほかの人の手も借りませんでした。
5. 「どうぞ主がわたしとあなたの間をさばかれますように」(12節)。 神に委ねたのは報復であって、事実ではありません。復讐しないことは、相手に非がなかったと言うことではありません。
初めのお願い(リーダーが読み上げます)
グループで話したことは、外に持ち出しません。ただし、例外があります。現在進行中の被害、子どもや弱い立場の人の安全、あるいは自分や他人を今すぐ傷つける危険が関わる時、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常は、まずできる限り本人と相談し、実際に助けられる人に必要な情報だけを伝えます。子ども、自分を守れない人、または差し迫った危険が関わる場合は、本人の同意を条件とせず、状況に応じて牧師、資格を持つ専門家、現地の警察、救急・医療機関に連絡します。差し迫った危険がある時は、その場で助けを求め、本人を一人にしないでください。
ウォームアップ:ドラマを見たり物語を聞いたりする時、どんな展開がいちばん胸のすく思いをさせますか。(初めて来た方も話せます。)
リーダーへのヒント:軽く、一人ひと言、ふた言で十分です。きっと笑いも起こるでしょう。「悪い人が痛い目に遭うのを見たい」という気持ちを先に言葉にすると、その後の話に入りやすくなります。
課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです。)
この課ではサムエル記上24章を読みます。サウルは精鋭三千人を率いてエンゲデの荒野でダビデを捜していました。道の途中、羊のおりのそばに洞窟があり、サウルが用を足すため中へ入ると、ダビデと従者たちは奥に隠れていました。従者たちはダビデに、主が敵をあなたの手に渡して思いどおりに扱えると言われた日が来た、と告げます。ダビデは立ち上がり、ひそかにサウルの上着のすそを切りましたが、後から心の責めを感じました。そして従者たちに、主が油を注がれたわが君に手を下すことを主は禁じられる、と言って彼らを止め、サウルを討たせませんでした。サウルが洞窟を出ると、ダビデも出て「わが君、王よ」と呼び、地にひれ伏しました。そして、なぜ人の中傷を聞くのか、今日あなたを殺すよう勧めた者もいたが私はあなたを惜しんだ、上着のすそが私の手にあるのを見てほしい、と語りました。また、主が二人の間を裁き、自分のために報いてくださるように、しかし自分は手を下さない、と言いました。サウルは声をあげて泣き、ダビデの方が正しいことと、ダビデが王になることを認め、自分の子孫を断たないと誓うよう求めました。ダビデが誓うと、サウルは家へ帰りました。あわせてローマ12章の、自分で復讐せず神の怒りに任せるように、という言葉も読みます。今日は、復讐する機会が手に入った時のことを一緒に考えます。
1. 1-7節を読みます。どのような状況でしたか。従者たちはどう勧め、ダビデは何をし、その後どう感じましたか。
リーダーへのヒント:サウルが一人で洞窟に入り、ダビデの従者たちは奥に隠れていました。従者たちは神の約束を引き、時が来たと言いました。ダビデは上着のすそだけを切り、その後心の責めを感じ、従者たちも止めました。
2. 8-15節を読みます。ダビデは洞窟を出た後、何を語りましたか。何を神に委ねましたか。
リーダーへのヒント:自分には悪意も反逆もないこと、王を殺すよう勧められても惜しんだこと、上着のすそが証拠であることを語りました。二人の間を裁き、自分のために報いることを主に求め、自分では手を下さないと言いました。
3. 16-22節を読みます。サウルはどのように応じ、最後に二人はどう別れましたか。
リーダーへのヒント:サウルは声をあげて泣き、ダビデの方が正しいと言い、ダビデが王になることも認めました。そして自分の子孫を断たないと誓うよう求めました。ダビデが誓うと、サウルは家へ帰りました。
4. 従者たちは神の言葉を引用して、手を下すよう勧めました。このような「信仰的な理由」は、なぜ危険なのでしょうか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いなので、十分に時間を取ります。自分の願いに合う解釈ほど受け入れやすいものです。胸のすくようなことをしたい時、自分にどんな理由をつけることが多いか、と尋ねてもよいでしょう。
5.(時間があれば扱う問い)ローマ12:19が禁じているのは何ですか。私的な報復を手放すことと、法律に基づいて責任を問うことには、どのような違いがありますか。
リーダーへのヒント:禁じられているのは私的な報復です。責任追及とは、扱う責任を持つ人に事実を委ねることです。違法行為、暴力、詐欺、性的暴行が関わる時は、法的・専門的な助けを求めるよう真剣に勧めてください。 本人の安全と、十分な情報に基づく本人の選択を優先し、グループの場で即答を迫りません。子ども、弱い立場の人、差し迫った危険が関わる時は、保護責任と法律に従って、ただちに助けを求めます。
6. 後にサウルは再びダビデを追いました。このことは、「復讐しないこと」「信頼を回復すること」「もう一度関係に入ること」を区別するうえで、どのように役立ちますか。
リーダーへのヒント:ダビデはこの時手を下しませんでしたが、それでサウルが変わる保証はありませんでした。復讐しないこと、心で赦すこと、信頼を回復すること、再び付き合うことは、それぞれ別です。この章が直接示すのは、私的な報復を手放すことです。具体的な関係の中で、復讐せずにどんな境界線を守れるかを話してもよいでしょう。
7. その人が困った時、自分なら胸がすくと思う相手はいますか。(誰かは言わなくてかまいません。「いる」とだけ答えてもよいです。初めて来た方も話せます。)
リーダーへのヒント:「いる」だけでもよい問いです。追及せず、責めません。リーダーが先に自分のことを話しましょう。大切なのは、この心の言葉を育てるのではなく、神の前に持って行くことです。
8. 今週、あなたはどれを一つ実行したいですか。
リーダーへのヒント:できるだけ具体的にします。そのメッセージを送らない。グループチャットで名指ししない。言うべきことを直接、明確に伝える。必要な手続きの準備をする。その人のために一度祈る。続く行動リストにつなげます。
一人のメンバーにサムエル記上24:12をゆっくり読んでもらい、続けてローマ12:19を読んでもらいます。皆で二分間静まり、心の中でその人とその出来事を神に委ねます。先に「私はあの人を赦しました」と言う必要はありません。 「このことの裁きをあなたに委ねます」とだけ言ってもかまいません。その後、希望する人は短くひと言、ふた言祈ります。名前を出す必要はありません。声に出したくない人は、静かに祈ることも祈りです。初めて来た方は静かに聞くだけでよく、祈ることも信仰の立場を表明することも求めません。最後にリーダーがまとめ、グループの人々のために感謝し、執り成します。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリにもグループチャットにも書きません。後のケアが必要な時は、通常、本人の同意を得てから必要な一、二点だけを非公開で記録します。子どもや自分を守れない人の安全、または自分や他人を今すぐ傷つける危険が関わる時は、本人の同意を条件とせず、現地の救急、警察、適切な保護機関へただちに連絡します。
次のように始めてもよいでしょう(祈りの方向):
主よ、私たちの心にも「ついにあの人の番だ」という言葉がありました。ないふりをしたくありません。どうか私たちの手から刃物を取り去り、口からそのメッセージを取り去ってください。復讐はあなたがなさり、あなたご自身が報復すると言われました。それなら、このことの正邪をどうかあなたが裁いてください。私たちは自分の手で害を加えません。言うべきことを明らかにする勇気と、必要な道を最後まで歩む知恵を与えてください。傷ついたところを癒やし、苦い根が私たちの内に生えないよう守ってください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、一人ひとりが次の中から一つを選び、今週行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。よければ、次の集まりで話すことができます。できなかった時は、妨げになったことを祈りに持って行きましょう。
「人に陥れられた」(ダニエル6章)か、「身内に裏切られた」(創世記 37:12-36)を選べます。