柔和でへりくだった神 · スモールグループ

神の栄光, 第32課. 読む マタイによる福音書 11:25-30. 強い者は高い所にいるものだと思い、神が身をかがめて私たちの重荷を負ってくださるとは想像しにくい

中心聖句:マタイによる福音書 11:25-30

イエスは「すべての事は父からわたしに任せられています」と言い、そのすぐ後に「わたしは柔和で心のへりくだった者である」、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」と言われました。すべてを御手に持つ方の心は柔和でへりくだっています。この方は、重荷を負って苦労している者を招き、ご自分のくびきを負ってご自分に学び、この方のうちに休みを得るようにしてくださいます。パウロは、キリストが「神のかたちであられた」にもかかわらず、「かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり」、人となって死に至るまで従順であられたと語ります。

はじめに

私たちは、能力や地位が上がるほど、普通の人から遠ざかっていく姿を見慣れています。地位を得ると、食事をする時も、話す時も、物事を進める時も普通の人との間に距離を置く人がいます。少しでも権力を握ると、態度が大きくなりがちです。そこから神を思い浮かべると、なおさらはるか高い所におられるように感じます。これほど偉大な方が、私のこんな小さなことのために、どうして身をかがめてくださるのでしょうか。

マタイによる福音書11章で、イエスはまず天の父に祈られました。「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。」(マタイ 11:25)「幼な子」は「知恵のある者や賢い者」と対比されています。啓示は父のみこころから出て、人の目には小さく、誇るものがないように見える人々に与えられます。続いてイエスは、非常に重みのある言葉を語られました。

すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。(マタイ 11:27)

すべてがこの方の御手に任せられています。父を知ることも、この方を通してのみ与えられます。この言葉を語った後、イエスはご自分の高い地位を見上げるよう人々に求めるのではなく、一つの招きを与えられました。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ 11:28) わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。(マタイ 11:29) わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ 11:30)

福音書の中で、イエスがご自分の心を直接言い表す箇所は多くありません。ここで語られるのは「柔和で心のへりくだった者」です。すべてを御手に持つ方の心が、柔和でへりくだっているのです。「くびき」は家畜の首に掛け、仕事を担わせる木の枠です。ユダヤの伝統では、人が受け入れる教えや服従を「くびき」と呼ぶこともありました。イエスが「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」と言われるのは、この柔和でへりくだった主の弟子となり、その導きのもとで休みを得るよう招くことです。「負いやすい」の原語 χρηστός(chrēstos)には、「ふさわしい、良い」という意味もあります。

次のマタイによる福音書12章では、イザヤ書の言葉を引用して、イエスを「いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない」(マタイ 12:20)方と語ります。傷つき、もう支えきれそうにない人も、この方の御手の中で無造作に捨てられることはありません。

パウロは、このことをさらに深い所まで語ります。

キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。(ピリピ 2:5) キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、(ピリピ 2:6) かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、(ピリピ 2:7) おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。(ピリピ 2:8)

キリストは神のかたちであられたのに、僕のかたちをとり、人となり、死に至るまで従順であられました。「おのれをむなしうして」とは、もはや神ではなくなったという意味ではありません。僕のかたちをとり、人となり、死に至るまで従うことによって、ご自分を低くされたということです。私たちのために下って来てくださいました。ですから、「柔和で心のへりくだった者」であることは、弱いということではありません。旧約聖書はモーセについて、「その人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(民数記 12:3)と語ります。彼は一つの民を率いてエジプトを出た人でもあります。柔和とは、力があってもそれで人を押さえつけないことです。へりくだるとは、地位があっても進んで身をかがめることです。

ですから、重荷を負って苦労している人は、その重荷をこの方のもとへ持って行けます。イエスは私たちを面倒だとは思われません。ペテロは「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」(ペテロ第一 5:7)と語ります。そしてこの方に学ぶ人も、少しずつその姿を身につけます。わずかな能力や地位を手にしたなら、それを用いて身をかがめ、人に仕えることを学びます。

学びのポイント

1. 先に「すべての事」、それから「柔和で心のへりくだった者」。 27節では、すべての事がイエスに任せられたと語られ、29節では、イエスが柔和で心のへりくだった者であると語られます。この二つが並ぶ所に、この箇所の最も心を打つ点があります。

2. 「柔和で心のへりくだった者」。 「柔和」の原語 πραΰς(praus)は、基本的に穏やかでへりくだり、強い力で人を押さえつけないことを意味します。27節と合わせると、すべての権威を持つイエスが、人を柔和に扱われることが分かります。「心のへりくだった者」とは、自分を低くし、自分を高く見せないことです。福音書の中で、イエスがご自分の心を直接言い表す珍しい箇所です。

3. 「くびき」。 家畜の首に掛け、鋤を引かせる木の枠です。ユダヤの伝統にも「律法のくびき」という言い方があり、人が担う教えを表しました。イエスのくびきを負うとは、イエスに学ぶことです。

4. 「幼な子にあらわしてくださいました」(11:25)。 「幼な子」は「知恵のある者や賢い者」と対比され、啓示が父のみこころから出て、人の目には小さく、誇るものがないように見える人々に与えられることを強調しています。へりくだって受け入れることへ適用できますが、「幼な子」を単なる心理的態度に限定するべきではなく、学問や教育が悪いという意味でもありません。

5. ピリピ 2:5-8の道筋。 神のかたちであられた方が、僕のかたちをとり、人となり、死に至るまで従順であられました。「おのれをむなしうして」とは神であることを捨てたのではなく、このようにご自分を低くしたことです。続く9節は「それゆえに、神は彼を高く引き上げ」と語ります。低くなられた方が、高く引き上げられました。

分かち合い

オープニング(約10分)

初めに一言(リーダーが読み上げます)

グループの中で話したことを、外へ持ち出して言い広めません。ただし、一つだけ例外があります。今も続いている被害、子どもや弱い立場にある人の安全、または自分や他人を今すぐ傷つける危険に関わる場合、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常はまずできる限り本人と相談し、実際に助けられる人だけに必要な情報を伝えます。子どもや自分を守れない人に関わる場合、または差し迫った危険がある場合は、本人の同意を前提とせず、状況に応じて牧師、資格を持つ専門家、現地の公安・警察、救急・医療機関に連絡します。差し迫った危険がある時はその場で助けを求め、本人を一人にしません。

ウォームアップ:「能力があるのに、まったく偉そうにしない」人を見たことがありますか。その人のどんな行動が、強く印象に残っていますか。(初めて来た方も話せます)

リーダーへのヒント:気軽に尋ねてください。年配の教授、経営者、年長者などかもしれません。この問いは「柔和で心のへりくだった者」というテーマへの導入です。

課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです。)

この課ではマタイによる福音書11章25-30節を読みます。イエスは言われました。天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。すべての事は父からわたしに任せられています。すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。併せて読むピリピ人への手紙2章は、キリストが神のかたちであられたのに、かえっておのれをむなしうして僕のかたちをとり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられたと語ります。今日は、柔和でへりくだった神について一緒に語り合います。

観察

1. 25-27節を読みます。イエスはなぜ天の父をほめたたえましたか。父は何をイエスに任せられたと言っていますか。

リーダーへのヒント:天の父はこれらの事を知恵のある者や賢い者に隠し、幼な子にあらわされました。すべての事は父からイエスに任せられています。子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、父を知る者はいません。

2. 28-30節を読みます。イエスは誰を招いていますか。ご自分の心をどのように表していますか。くびきと荷はどのようなものですか。

リーダーへのヒント:すべて重荷を負うて苦労している者です。イエスは柔和で心のへりくだった者です。そのくびきは負いやすく、荷は軽いものです。イエスのくびきを負って学ぶなら、魂に休みが与えられます。

3. ピリピ 2:5-8を読みます。キリストはもともと何を持っておられましたか。どのように一歩一歩、低い所へ下って行かれましたか。

リーダーへのヒント:神のかたちであられ、神と等しい方でした。おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になり、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられました。

解釈

4. 27節は「すべての事は父からわたしに任せられています」と言い、29節は「わたしは柔和で心のへりくだった者である」と言います。すべてを御手に持つ方の心が柔和でへりくだっていることは、私たちが神を思い描く時に、どのような変化をもたらしますか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いなので、十分に時間を取ってください。私たちは大きな存在ほど遠くにいると思いがちですが、イエスは偉大であればあるほど進んで身をかがめられます。神が本当にこのような方なら、私たちがその御前へ行く時、何が変わるでしょうか。

5.(時間があれば扱う問い)イエスは人を休みへ招く一方で、「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」と言われます。この柔和でへりくだった主のもとで、従うことと休むことは、どのように同時に成り立つのでしょうか。

リーダーへのヒント:イエスのくびきを負うとは、弟子となってイエスに学ぶことです。教えてくださる方が柔和でへりくだった主なので、そのくびきは負いやすく、荷は軽いのです。重荷そのものは残ることがあっても、心には休みが与えられます。ペテロ第一 5:7の「自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねる」ことにも触れられます。

6. ピリピ 2:5は「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思い」を互いに生かすよう語ります。キリストがご自分を低くされたことは、私たちが手にしている能力や地位の用い方を、どのように変えますか。

リーダーへのヒント:具体的になるよう促してください。上に立つ人が、部下の話を最後まで聞く。親が子どもに謝る。力のある人が初心者を助ける。これはキリストにあって、聖霊により少しずつ学ぶことであって、達成すべき項目の一覧ではありません。

適用

7. 今あなたが負っている重荷の中で、最も重いものは何ですか。(種類だけを話せば十分です。初めて来た方も話せます)

リーダーへのヒント:リーダーが先に自分のことを話してください。仕事、家庭、体、心のことなど、何でもかまいません。すぐに助言しないでください。今も続いている被害や自死したいという思いが語られたなら、前の注意に従ってその場で対応してください。

8. 今週、どのように重荷をこの柔和でへりくだった主のもとへ持って行きたいですか。また、どの一つのことについて、イエスに倣って身をかがめたいですか。

リーダーへのヒント:具体的になるよう促してください。その重荷を書き出し、マタイ 11:28-30を読んでから祈る。一つの場面で偉ぶる態度を手放し、先に謝る、先に挨拶する、誰かのために小さなことを一つ行う。続く行動リストもこの方向に沿っています。

祈りと実践

ともに祈る(約15分)

まず一人の方にマタイ 11:28-30をゆっくり読んでもらい、二分間、静かにします。それぞれが、最も重い重荷を心の中でイエスにゆだねます。願う方は一言か二言、祈ってください。声に出したくない方は、黙って祈ることも祈りです。初めて来た方は静かに聞いているだけでよく、祈ることも信仰の表明もまったく求めません。最後にリーダーがまとめ、グループの中で特に重い重荷を負う方のために祈ります。祈りの課題はグループの中にとどめます。繊細な内容はAppに書かず、グループチャットにも投稿しません。通常、後から支える時はまず本人の同意を得てから、必要な一、二文だけを個別に記録します。子どもや自分を守れない人の安全、または自分や他人を今すぐ傷つける危険に関わる場合は、同意を前提とせず、直ちに現地の救急、公安・警察、または適切な保護機関に連絡します。

次のように祈り始めることができます(祈りの方向)。

主イエスよ、すべての事があなたの御手に任せられているのに、あなたは「わたしは柔和で心のへりくだった者である」と言われます。あなたは至高の方でありながら私たちから遠く離れず、かえって重荷を負って苦労している者を御もとへ招いてくださることを感謝します。私たちは重荷をあなたにゆだねます。どうかあなたのくびきを負ってあなたに学び、あなたのうちに休みを得させてください。神のかたちであられたのに、私たちのために僕のかたちをとり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられたことを感謝します。私たちもあなたと同じ思いを生かし、身をかがめて人に仕えることを学ばせてください。イエスの名によって祈ります。アーメン。

今週の行動リスト(約5分)

祈った後、次の中から今週行うことを一人一つ選びます。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。

記録も報告も必要ありません。よければ次の集まりで話してください。できなかった時は、何が難しかったのかを祈りに持っていきましょう。

続けて話したい時

「イエスは仕えるために権威を用いられる」の課(マルコ 10:35-45)、または「キリストの心をもって互いに仕える」の課(ピリピ 2:1-11)を選べます。

リーダーガイド