神の栄光, 第26課. 読む 出エジプト記 34:1-9. 幼い頃から殴られ、叱られて育ち、神もすぐ怒り出す父親のようだと思っている
中心聖句:出エジプト記 34:1-9
イスラエルの民が金の子牛を造った直後、神はシナイ山でモーセにご自分の名を宣言されました。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」。神は罪を憎み、その怒りは現実のものです。しかし神は怒ることがおそく、制御を失うことも、人に怒りをぶつけることもありません。暴言や暴力の中で育った人は、イエスを通して、この全く異なる父を少しずつ知ることができます。マルコによる福音書でイエスが「憤った」と記される一つの場面は、弟子たちが幼い子どもをイエスのもとへ来させまいとした時です。
「父」という言葉を聞くだけで、体がこわばる人がいます。子どもの頃、家の空気は大人の顔色で決まりました。茶わんを割ればたたかれ、成績が悪ければ怒鳴られ、何も悪いことをしていないのに、八つ当たりされることさえありました。そのように育った人が「天の父」と聞くと、いつ怒りだすか分からない目を思い浮かべがちです。祈る時もおそるおそるで、過ちを犯せば隠れたくなり、いつか必ずたたかれるように感じます。
出エジプト記34章の背景には、神が怒るに足る出来事がありました。イスラエルの民は契約を結んで間もなく金の子牛を造り、それを拝みました(出エジプト記32章)。山を下ったモーセは激しく怒り、二枚の石の板を投げつけて砕きました(出エジプト 32:19)。今、神はモーセに、もう一度二枚の石の板を切り、山へ上るよう命じられます。
ときに主は雲の中にあって下り、彼と共にそこに立って主の名を宣べられた。(出エジプト 34:5)
神はモーセの前を通って宣言されました。
主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。(出エジプト 34:6-7)
これは神ご自身が語られた自己紹介で、旧約聖書は後に何度も引用します(民数記 14:18、詩篇 86:15、103:8、ヨエル 2:13、ヨナ 4:2)。「怒ることおそく」は、直訳すれば「鼻が長い」です。ヘブル人は怒りを鼻が熱くなることによって表しました。「鼻が長い」とは、怒りが非常にゆっくり上がるということです。
神は、罪など問題ではないとは言われません。「罰すべき者をば決してゆるさず」と語られます。しかし、二つの重みは大きく異なります。いつくしみは「千代」まで、罪の報いは「三、四代」に及びます。父の罪が子へ及ぶという言葉は、罪の結果が家庭で世代から世代へ続くという、多くの人が知っている現実を表します。同時に聖書は、「子は父の悪を負わない」(エゼキエル 18:20)とも語ります。神のいつくしみは、一つの家庭に続くこの連鎖を断ち切ることができます。
モーセは、この名を聞いて逃げませんでした。
そして言った、「ああ主よ、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、かたくなな民ですけれども、どうか主がわたしたちのうちにあって一緒に行ってください。そしてわたしたちの悪と罪とをゆるし、わたしたちをあなたのものとしてください」。(出エジプト 34:9)
神がご自分の名を宣言された時、モーセはすぐに伏して拝み、民の罪を赦し、民のうちを共に歩んでくださるよう願いました。逃げるのではなく、民の罪を携え、あわれみと恵みに富む神へ願ったのです。
数百年後、預言者ヨナも同じ言葉を引用しますが、怒りながら引用しました。神がニネベを赦されると、ヨナは「非常に不快として、激しく怒り」、「わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊か」な方だと知っていた、と神へ語りました(ヨナ 4:1-2)。神はただ、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」(ヨナ 4:4)と尋ねられます。この物語で、すぐに怒るのは神ではなく人です。ヤコブの手紙も、「人の怒りは、神の義を全うするものではない」(ヤコブ 1:20)とはっきり語ります。
福音書で、マルコはイエスが「憤った」一つの場面を記します。人々が幼い子どもをイエスのもとへ連れて来ましたが、弟子たちは彼らをたしなめました。イエスはそれを見て憤り、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない」(マルコ 10:14)と言われました。そして子どもたちを抱き、手を置いて祝福されました(マルコ 10:16)。イエスは子どもに怒ったのではなく、子どものために憤られたのです。罪に対する神の怒りは現実です。しかしパウロは、私たちが「まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さった」ので、なおさらキリストによって神の怒りから救われると語ります(ローマ 5:8-9)。罪が受けるべき怒りを、キリストが私たちのために負ってくださいました。
ですから、父親や母親からそのように扱われたなら、それは親の過ちであって、神のお姿ではありません。聖書も父親に、「子供をおこらせないで」(エペソ 6:4)と命じます。この傷は一度に治るとは限りません。ゆっくりでよいのです。必要なら、資格を持つカウンセラーの助けを受けられます。自分も子どもに対し、焦るとすぐ暴言や暴力を用いてしまうと気づく人もいます。この課は、そのような私たちへの招きでもあります。怒ることのおそい神の前で罪を認め、変えてくださるよう願い、助けを求めるのです。
1. 背景は金の子牛の直後です(出エジプト記32章)。 民が契約を破ったばかりなのに、神はモーセにもう一度石の板を切らせ、先の言葉を再び書かれます。この宣言は、大きな罪を犯した民へ語られました。
2. 「怒ることおそく」。 原語 אֶרֶךְ אַפַּיִם(erekh appayim)は、直訳すれば「鼻が長い」です。ヘブル人は鼻が熱くなることで怒りを表しました。「鼻が長い」とは、怒りが非常にゆっくり来るという意味です。
3. 「千代」と「三、四代」。 いつくしみと罪の報いの重みは大きく異なります。出エジプト 20:6は、神がご自分を愛する者に「恵みを施して、千代に至る」と語ります。父の罪が子へ及ぶとは、罪の結果が家庭で続くことです。子どもが親の罪そのものを負うという意味ではありません(エゼキエル 18:20)。
4. 神の怒りと人の怒り。 神の怒りは聖さから生じ、現実の罪へ向けられ、常に神の正義といつくしみによって治められています。神は制御を失った大人のように八つ当たりせず、人を辱め、傷つけることを喜ばれません。人の怒りには、自己中心や感情のはけ口が混じりやすく、神の義を全うできません(ヤコブ 1:19-20)。
5. イエスの憤り(マルコ 10:14)。 マルコがイエスの憤りを記すこの場面では、弟子たちが幼い子どもを止めました。イエスは子どものために憤り、その後、子どもたちを抱いて祝福されました。
初めに一言(リーダーが読み上げます)
グループで話したことを、外へ持ち出して言い広めません。ただし、一つ例外があります。今まさに起きている暴力や危害、子どもや弱い立場にある人の安全、または自分や他人を今すぐ傷つける危険が関わる時、リーダーは完全な秘密を約束できません。通常はまず本人とできるかぎり相談し、実際に助けられる人に必要最小限の情報だけを伝えます。子どもや自分を守れない人が関わる場合、または差し迫った危険がある場合は、本人の同意を前提とせず、状況に応じて牧師、資格を持つ専門家、現地の公安・警察、救急・医療機関へ連絡します。差し迫った危険がある時は、その場で助けを求め、本人を一人にしないでください。
ウォームアップ:あなたの知っている人で、いちばん穏やかな人はだれですか。問題が起きた時、その人はどのように振る舞いますか。(初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:気軽に尋ねます。先生、年長者、同僚などでもかまいません。この問いは、「怒ることおそく」という話につながります。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。予習できなかった方のための約1分のまとめです)
この課では、出エジプト記34章1~9節を読みます。イスラエルの民は金の子牛を拝み、モーセは二枚の石の板を砕きました。神はモーセにもう一度二枚の板を切り、シナイ山へ上るよう命じられました。主は雲の中にあって下り、ご自分の名を宣言されました。主は、あわれみと恵みがあり、怒ることおそく、いつくしみとまことに豊かで、千代までいつくしみを施し、悪、とが、罪を赦す方です。同時に、罰すべき者を決して無罪としない方です。モーセは急いで地に伏し、民のうちを共に歩み、その罪を赦してくださるよう願いました。あわせて読むヨナ書4章で、ヨナは神があわれみ深く、怒ることおそいと知っていると言いながら、神がニネベを赦されたことに激しく怒りました。今日は、怒ることのおそい神について一緒に考えます。
1. 1-4節を読み、続いて出エジプト 32:19を読みます。最初の二枚の石の板は、どのように砕けましたか。神はモーセに何を命じられましたか。
リーダーへのヒント:民が金の子牛を造って拝んだので、モーセは激しく怒り、二枚の板を投げて砕きました。神はもう一度二枚の板を切り、前に書いた言葉を再び書くと告げられました。
2. 5-7節を読みます。神はご自分の名をどのように宣言されましたか。どの言葉がいつくしみを語り、どの言葉が罪への姿勢を語りますか。
リーダーへのヒント:あわれみ、恵み、怒ることおそく、豊かないつくしみとまこと、千代までのいつくしみ、悪・とが・罪を赦すことが語られます。同時に、罰すべき者を決してゆるさず、三、四代に及ぶと語られます。「千代」と「三、四代」を比べてもよいでしょう。
3. 8-9節を読み、続いてヨナ 4:1-4を読みます。モーセは聞いた後どう応答しましたか。ヨナは同じ言葉をどのように引用しましたか。ヨナの物語で怒っているのはだれですか。
リーダーへのヒント:モーセは急いで伏して拝み、主が民のうちを共に歩み、その罪を赦してくださるよう願いました。ヨナは神が怒ることおそいと知りながら、ニネベを赦されたことに激しく怒りました。神は「あなたの怒るのは、よいことであろうか」と尋ねられました。
4. 神は「怒ることおそく」、同時に「罰すべき者をば決してゆるさず」と語られます。神の怒りは、すぐに怒りだす大人の怒りと、どのように違いますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ってください。神の怒りは聖さから生じ、現実の罪へ向けられ、来るのが遅く、常に正義といつくしみによって治められています。神は八つ当たりせず、辱めることを喜ばれません。いつくしみは、罪の報いよりはるかに大きく語られます。人の怒りには、自己中心や感情のはけ口が混じります。心に描く神は、どちらに似ているかを尋ねてもよいでしょう。
5.(時間があれば扱う問い)ヨナは、神が怒ることおそいと知りながら、激しく怒りました。この物語は、すぐに怒りやすいのがだれかを、どのように示しますか。私たちに何を教えますか。
リーダーへのヒント:多くの場合、すぐに怒るのは神ではなく人です。ヨナは、神が告げた災いを下さなかったため怒りました。本文はヨナの動機すべてを説明していません。ヤコブ 1:19-20の、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそく、という言葉へつなげられます。
6. マルコ 10:13-16でイエスが「憤った」のは、弟子たちが幼い子どもを止めた時でした。イエスは子どもたちをどう扱われましたか。そこから、天の父がどのような父であると分かりますか。
リーダーへのヒント:イエスは子どものために憤り、彼らを抱き、手を置いて祝福されました。ローマ 5:8-9を挙げ、罪が受けるべき怒りをキリストが私たちのために負われたことも語れます。
7. あなたが心に描く神の中に、子どもの頃に出会った大人と似ている部分はありますか。(話してよいと思う範囲だけで十分です。詳しく話す必要はありません。初めて来た方は、「幼少期が神の見方へどう影響するか」だけを話してもかまいません)
リーダーへのヒント:リーダーが先に自分のことを話します。最も重い経験でなくてかまいません。話してくれたことに感謝し、詳しく聞かず、だれかを弁護しません。今も続く傷について語られたら、オープニングの原則に従います。
8. 今週、出エジプト 34:6を心に留め、どのようにもう一度神の前へ出たいですか。自分が家族へ怒りをぶつけやすいなら、どのように変わり始めたいですか。
リーダーへのヒント:具体的になるよう助けてください。出エジプト 34:6を書き写し、神が怖くなる時に読むこと、過ちを犯した時に隠れず神の前へ出ることなどです。家族へ怒りをぶつける人は、罪を認め、責任を負い、助けを求められます。すでに暴力や脅迫があり、再び制御を失う恐れがあるなら、まず接触を止め、家族と子どもの安全を確保し、信頼できる第三者、公安・保護機関に介入を求め、専門的な評価と継続的な助けを受けます。謝罪は安全対策の代わりになりません。
一人に出エジプト記 34:5-9をゆっくり読んでもらい、皆で二分間静まります。それぞれ、「自分が心に描いている神は、どのようなお方か」を考えます。希望する人は、一、二文で祈ります。声に出したくない人は、静かに祈ることも祈りです。初めて来た方は静かに聞くだけでよく、祈ることも信仰の立場を表明することも求めません。最後にリーダーがまとめ、暴言や暴力の中で育った人と、子どもへ暴言や暴力を用いないことを学んでいる親のために執り成します。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリにもグループチャットにも書きません。通常のフォローは、まず本人の同意を得てから、必要な一、二点だけを非公開で記録します。子どもや自分を守れない人の安全が関わる場合、または自分や他人を今すぐ傷つける危険がある場合は、同意を前提にせず、直ちに現地の救急、公安・警察、適切な保護機関へ連絡します。
祈りは、次のように始めてもよいでしょう。
主よ、主よ。あなたはあわれみと恵みがあり、怒ることおそく、いつくしみとまことに豊かな神です。私たちの中には、幼い頃から暴言や暴力を受け、あなたを、いつ怒りだすか分からない顔として思い描いてきた者がいます。どうかその傷をゆっくりいやし、幼い子どもを抱き、祝福されたイエスを通して、あなたの本当のお姿を知らせてください。私たち自身も家族へ怒りをぶつけ、傷つけてきたことを認めます。赦し、変えてください。私たちがまだ罪人であった時、キリストが死んでくださったことを感謝します。イエスのみ名によって祈ります。アーメン。
祈りの後、下から一つを選んで今週行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告もいりません。よければ次の集まりで話してください。できなかった時には、どこで難しくなったかを祈りのうちに神へ持って行きましょう。
「いつまでも怒り続けない神」の課(詩篇30篇)、または「子どもを訓練し、怒らせない」の課(エペソ 6:1-4)を選べます。