神の栄光, 第12課. 読む 詩篇 34 篇. 普段は神を思い出さず、行き詰まってから求めるので、来るのが遅すぎたと嫌われるのではないかと恐れる
中心聖句:詩篇 34 篇
ダビデは最もみじめな時に詩篇34篇を書きました。「この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された」。そして人々を、「主の恵みふかきことを味わい知れ」と招きます。神は「ご自身を求める者に報いて下さる」方です。来るのが遅くても、みじめな姿で来ても退けません。神がくださる最も大きな報いは、神ご自身です。
多くの人になじみのある祈り方があります。普段は暮らしが何とか回っていて、神のことをほとんど思い出しません。ところが病気になり、商売が傾き、子どもに何か起こると、慌ててひざまずくのです。願いながら、少し後ろめたくも感じます。普段は神を脇に置いていたのに、行き詰まった時だけ助けを求めて、遅すぎると思われないだろうか。ただ利用しようとしていると思われないだろうか、と。
詩篇34篇の表題には、ダビデが「アビメレクの前で狂気を装い、彼に追われて去ったとき」の歌だとあります。それはダビデの生涯でも、とてもみじめな時でした。サウルの追跡を逃れて敵国へ行き、正体を見破られると、気が狂ったふりをし、門のとびらに落書きをし、ひげによだれを流して、ようやく追い出されたのです(サムエル記上 21:10-15)。油を注がれた将来の王が、そこまで落ちぶれていました。それでも、この詩は賛美から始まります。
わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。(詩篇 34:4) 主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。(詩篇 34:5) この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。(詩篇 34:6)
「この苦しむ者」と、ダビデは自分を飾りませんでした。最もみじめな時に神を求め、それでも神は聞いてくださいました。そして、すべての人をこう招きます。
主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。(詩篇 34:8)
詩人は、聞いている人に自分自身で神に寄り頼み、信頼する中でその恵み深さを知るよう招きます。ダビデはまた、「若きししは乏しくなって飢えることがある。しかし主を求める者は良き物に欠けることはない」と語ります(詩篇 34:10)。最も強い若い獅子でさえ飢える時がありますが、神を求める人には神の顧みがあります。この言葉は19節と一緒に読む必要があります。
正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。(詩篇 34:19)
詩人は、神を求める人には苦しみがないとは言いません。「災が多い」と言いながら、神は彼らを捨てないと語るのです。「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」(詩篇 34:18)。神が特に近くにおられるのは、心が砕け、みじめな姿で、遅れて来たように感じている人であることが多いのです。
ヘブル人への手紙は、「神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」と語ります(ヘブル人への手紙 11:6)。神はアブラムに、「わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」と言われました(創世記 15:1)。神の報いには、生活の中でのさまざまな顧みがあります。その中で最も大きな報いは、神ご自身が、神を求める人と共にいてくださることです。新約聖書では、イエスと共に十字架につけられた犯罪人が、命の最後の時に、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」と願います。イエスは、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と答えられました(ルカ 23:42-43)。どれほど遅く見えても、来るならば、戸は開かれています。
ですから、自分の体裁が整ってから神を求めようとしなくてよいのです。普段は神を忘れていたからといって、困難の中で願うことをためらう必要もありません。今日、来ることができます。同時にこの課は、行き詰まった時だけ神を思い出すのではなく、何事もない日にも味わってみるよう私たちを招きます。神がもともと恵み深い方だと分かるでしょう。
1. 表題の背景。 出来事はサムエル記上21:10-15に記されています。サムエル記上はガテの王をアキシと呼び、詩篇の表題は「アビメレク」と呼びます。「アビメレク」は王の称号だったと考える人もいれば、表題が伝わる過程で名前に混同が生じたと考える人もいます。聖書本文は、この違いを説明していません。
2. アルファベット詩。 詩篇145篇と同じように、詩篇34篇も原文ではおおむねアルファベットの順に並んでいます。教え、暗記するための詩です。
3. 「味わい知れ」。 原語には食べ物を味わう時の語が使われています。詩人は、聞いている人が自分自身で主に寄り頼み、信頼する中でその恵み深さを知るよう招いています。特別な感覚を追い求めるよう勧めているのではありません。
4. 10節と19節。 「良き物に欠けることはない」は、「正しい者には災が多い」と一緒に読む必要があります。神が目の前で助け出してくださる時もあれば、まだ解決していない苦しみを通る人を支えてくださる時もあります。キリストにあって、神の最終的な救いと、正しさを明らかにする裁きは必ず実現します。
5. 20節とイエス。 「主は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない」。ヨハネによる福音書は、イエスが十字架につけられた時に骨を折られなかったことを記し、それは聖書の言葉が成就するためだったと述べます(ヨハネ 19:36)。この言葉は詩篇34:20を指している可能性があり、過越の小羊の骨を折ってはならないという定めとも、はっきり響き合っています(出エジプト記 12:46、民数記 9:12)。
ウォームアップ:ずっと人に頼みにくいと思っていたことを、最後には思い切って頼んだ経験がありますか。結果はどうでしたか。(初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:気軽に尋ねます。物を借りること、休みを一度もらうこと、助けを求めることなどでもかまいません。この問いは、「神を求めるのが申し訳ない」という気持ちへの導入です。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです)
この課で読むのは詩篇34篇です。ダビデがアビメレクの前で狂気を装い、追い出された後に作った詩です。ダビデはこう語りました。わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れから助け出された。この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞かれた。主の恵みふかきことを味わい知れ。主に寄り頼む人はさいわいである。若きししは乏しくなって飢えることがある。しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。主は心の砕けた者に近い。正しい者には災が多いが、主はすべてその中から彼を助け出される。あわせて読むのはヘブル人への手紙11章です。神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いてくださることとを信じなければなりません。今日は一緒に、神を求める者に報いてくださる神について話し合います。
1. 表題と1-7節を読みます。ダビデがこの詩を書いた時、どのような状況にいましたか。彼が主を求めた結果はどうなりましたか。
リーダーへのヒント:敵国で狂気を装い、追い出され、とてもみじめな状況でした。彼が主を求めると、主は答え、すべての恐れから助け出してくださいました。この苦しむ者が呼ばわると、主は聞いてくださいました。
2. 8-14節を読みます。ダビデは人々に何をするよう招きましたか。主を求める人について、何と言っていますか。
リーダーへのヒント:主の恵み深さを味わい知ること、主に寄り頼むことです。主を求める者は良き物に欠けることがありません。また舌を抑え、悪を離れて善を行い、平和を求めるよう教えています。
3. 15-22節を読み、続いてヘブル人への手紙11:6を読みます。神の目と耳は誰に向けられていますか。正しい人に苦しみはないのでしょうか。ヘブル人への手紙は、神に来る人が何を信じるべきだと語っていますか。
リーダーへのヒント:神は正しい者を見守り、その叫びを聞き、心の砕けた者に近くおられます。正しい者には災が多いのですが、主はすべてその中から助け出されます。神がいますことと、ご自身を求める者に報いてくださることを信じます。
4. 多くの人は行き詰まってから神を求め、遅すぎるのではないかと恐れます。詩篇34篇とヘブル人への手紙11:6は、その心配にどう答えていますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ります。ダビデは最もみじめな時に神を求め、それでも神は聞いてくださいました。神はご自身を求める者に報い、心の砕けた者に近くおられます。ルカ23:42-43の、イエスと共に十字架につけられた犯罪人の箇所を読んでもよいでしょう。
5.(時間があれば扱う問い)8節では、「味わい知る」ことと「寄り頼む」ことが一緒に語られています。自分自身で神に寄り頼むことには、人から話を聞くだけの場合と比べて、どのような違いがありますか。
リーダーへのヒント:大切なのは、自分自身で信頼することです。誰の体験がより強烈だったかを比べません。神は聖書や教会、日々の顧みを通して、その恵み深さを知らせてくださることもあります。一人か二人に話してもらってもよいですが、大きな話でなくてかまいません。
6. 19節は「正しい者には災が多い」と語り、10節は「主を求める者は良き物に欠けることはない」と語ります。この二つを、どのように一緒に読めばよいでしょうか。
リーダーへのヒント:この二節は共に、神がご自分に属する人を捨てないことを証ししますが、すべての苦しみが私たちの願いどおりすぐに終わるとは約束していません。目の前で助け出されることもあれば、苦しみの中で支えられることもあります。キリストにあって、最後の救いと復活は必ず訪れます。「良き物」の最も深い意味は、神ご自身が私たちと共にいてくださることです。
7. あなたは普段、どのような時に最も神を思い出しますか。(初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:リーダーがまず自分のことを正直に話します。困難な時に思い出す人が多いでしょう。それは自然なことなので、評価しません。
8. 今週、どんな日常のひとときに神を求めてみたいですか。
リーダーへのヒント:具体的な時へ導きます。朝、家を出る前、料理をしている時、仕事からの帰り道などです。続く行動リストも、この答えにつなげます。
まず一人のメンバーに詩篇34:4-8をゆっくり読み、続いてヘブル人への手紙11:6を読んでもらいます。皆で二分間静まります。それぞれが心の中で、一つの困難、または長い間神のもとへ持って行かなかった思いを神にゆだねます。希望する人は一言か二言祈ります。声に出したくない人にとっては、静かに祈ることも祈りです。初めて来た方は静かに聞いているだけでよく、祈ることも信仰の立場を表明することもまったく求めません。最後にリーダーがまとめ、グループの中で心が砕けている人々のために祈ります。
次のように始めてもよいでしょう(祈りの方向):
主よ、私たちは行き詰まってから、ようやくあなたを求めることがよくあります。その時にも、少し後ろめたさを抱えています。苦しむ者の叫びを聞き、心の砕けた者に近づいてくださることを感謝します。来るのが遅くても、みじめな姿でも退けないでくださることを感謝します。何事もない日にもあなたの恵み深さを味わい、ご自身を求める者に報いてくださることを知る者としてください。あなたご自身こそ、最も良い報いです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、一人ひとりが下の中から一つを選び、今週行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も要りません。よければ次の集まりで話してもかまいません。できなかった時は、何が妨げになったかを祈りの中で主に持っていきましょう。
詩篇145篇を扱う「惜しみなく与えられる神」の課、またはサムエル記上7:3-12を扱う「御顔の光をもって助けられる神」の課を選べます。