神の栄光, 第6課. 読む 列王紀上 18:20-39. 信仰が一式の説明のようになり、祈っても誰かが聞いているのか分からない
中心聖句:列王紀上 18:20-39
カルメル山で、バアルの預言者たちは朝から夕方まで叫び続けましたが、「なんの声もなく、答える者もなく、また顧みる者も」ありませんでした。エリヤが短く祈ると、主の火が下り、民はひれ伏して、「主が神である」と言いました。私たちが信じるのは一つの説明体系ではなく、真実で生きておられ、祈りを聞かれる神です。神の子はすでに来られ、私たちが真実な方を知ることができるようにしてくださいました。
信仰をもってしばらく歩んだ後、口に出しにくい感覚を抱く人がいます。信仰が、一つの説明体系になってしまったように感じるのです。教えは知っていて、賛美歌も歌えます。それでもひざまずいて祈ると、心は空っぽで、語った言葉を誰かが聞いているのか分からない。時間がたつにつれて祈りは短くなり、最後には食前の一言だけが残ります。
列王紀上18章では、「誰が聞いているのか」をめぐる対決が起こります。当時のイスラエルの民は、主を礼拝しながら、バアルも拝んでいました。バアルはカナンの人々が嵐と豊作を支配すると信じた神でしたが、その数年間、一滴の雨も降りませんでした。エリヤは民をカルメル山に集めます。
そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。(列王紀上 18:21)
「二つのものの間に迷っている」という言葉には、二つの側の間を足を引きずりながら跳び回る姿があります。民は主とバアルの間を揺れ動き、どちらも手放そうとしませんでした。誰も一言も答えられません。エリヤは一つの試みを提案しました。双方が一頭ずつ牛を用意し、たきぎの上に載せますが、火はつけません。火を下す方こそ神だとするのです。四百五十人いたバアルの預言者たちが先に始めます。
彼らは与えられた牛を取って整え、朝から昼までバアルの名を呼んで「バアルよ、答えてください」と言った。しかしなんの声もなく、また答える者もなかったので、彼らは自分たちの造った祭壇のまわりに踊った。(列王紀上 18:26)
正午になると、エリヤは彼らをあざけり、相手は考えにふけっているか、よそへ行ったか、旅に出たか、眠っているのかもしれないから、大声で起こせと言いました。彼らはさらに大声で叫び、ならわしに従って自分の身を傷つけ、夕方まで騒ぎ続けます。
こうして昼が過ぎても彼らはなお叫び続けて、夕の供え物をささげる時にまで及んだ。しかしなんの声もなく、答える者もなく、また顧みる者もなかった。(列王紀上 18:29)
次はエリヤの番です。まず、こわれていた主の祭壇を繕いました。イスラエルの十二部族を表す十二個の石を使い、供え物とたきぎの上に三度水を注がせ、みぞまで水で満たします。そして短く祈りました。
夕の供え物をささげる時になって、預言者エリヤは近寄って言った、「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、イスラエルでは、あなたが神であること、わたしがあなたのしもべであって、あなたの言葉に従ってこのすべての事を行ったことを、今日知らせてください。 主よ、わたしに答えてください、わたしに答えてください。主よ、この民にあなたが神であること、またあなたが彼らの心を翻されたのであることを知らせてください」。(列王紀上 18:36-37)
そのとき主の火が下って燔祭と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、またみぞの水をなめつくした。(列王紀上 18:38) 民は皆見て、ひれ伏して言った、「主が神である。主が神である」。(列王紀上 18:39)
一方は声がかれるまで叫び、自分を傷つけても、一つの返事も得られません。もう一方は長くない祈りです。違いは、誰が大声を出し、誰がより必死になったかではなく、祈りを向ける相手が本当におられるかどうかです。エリヤが願ったのは、「この民にあなたが神であること、またあなたが彼らの心を翻されたのであること」を知らせてください、ということでした。
同時に、正直に認めなければならないことがあります。私たちは祈るたびに、天から火が下るのを見るわけではありません。あの日の火は、神が特定の時にご自分の民へ与えられたしるしであって、求めるたびに呼び出せるものではありません。エリヤ自身、続く19章では、えにしだの木の下で死を願うほど落胆しました。新約聖書は、神がさらに深く、永続する仕方でご自身を現されたと語ります。「神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さった」(ヨハネ第一 5:20)。真実で生きておられる神は、イエス・キリストにあって人の間に来て、語り、いやし、死に、復活されました。神が聞いておられることの最も確かな根拠は、神がすでにキリストにあって私たちに語られたことです。ある時の感覚は、訪れることも去ることもあります。ですから、すぐに答えが見えない日にも、実際におられる方に話すように、語り続けることができます。
1. なぜ火だったのか。 カナンの信仰で、バアルは嵐、雷、雨、豊作と結びついていました。しかし数年間、雨は降っていませんでした。「火をもって答える」ことには、バアルが支配すると称した領域でその偽りを明らかにする意味もあった、と考える解説者もいます。ただし聖書は、エリヤがなぜ火を選んだのかを説明していません。
2. 「二つのものの間に迷っている」。 原語は、二つの側の間を足を引きずり、跳び回る姿を表します。同じ文のもう一つの語を「分かれ道」「枝」「意見」のどれに近く理解するかについては、解釈が分かれます。26節でバアルの預言者たちが祭壇の周りに「踊った」とあるのも、同じ語根です。大切なのは、民が主とバアルの間で揺れ、どちらも手放そうとしなかったことです。
3. 十二個の石と三度の水。 十二個の石は十二部族に対応し、イスラエルが神の一つの家族であることを思い起こさせます。エリヤはさらに三度水を注がせ、みぞまで満たしました。供え物もたきぎも水にぬれ、後に下った火が普通の火ではないことがいっそう明らかになりました。聖書は、エリヤがなぜこのようにしたのかを説明していません。
4. エリヤの祈り。 願いの中心は、「この民にあなたが神であること」を知らせること、そして神が民の心を翻されたことを知らせることでした。
5. あの日のしるし。 火が下ったことは、あの時、神が民に与えられたしるしです。聖書に登場する多くの敬虔な人々の祈りは、長い待ち時間の中で答えられました。
ウォームアップ:機械やカスタマーサービスの電話に向かって長く話した後、実は誰も聞いていなかったと分かったことがありますか。(初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:気軽に尋ねると、皆で笑えるでしょう。この問いが、「なんの声もなく、答える者もなかった」という話への導入になります。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです)
この課では列王紀上18章20~39節を読みます。エリヤはカルメル山で民に、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」と言いました。双方が一頭ずつ牛を用意し、火をもって答える方を神とします。バアルの預言者たちは朝から夕方まで叫びましたが、なんの声もなく、答える者もなく、また顧みる者もありませんでした。エリヤは主の祭壇を繕い、供え物に水を注がせてから、「主よ、わたしに答えてください。この民にあなたが神であること、またあなたが彼らの心を翻されたことを知らせてください」と祈りました。すると主の火が下り、民はひれ伏して、「主が神である。主が神である」と言いました。あわせて読むのはヨハネの第一の手紙5章です。神の子が来て、真実な方を知る知力を私たちに授けてくださいました。今日は一緒に、真実で生きておられる神について話し合います。
1. 20-24節を読みます。エリヤは民に何を尋ねましたか。民はどのように応じましたか。エリヤはどのような試みを提案しましたか。
リーダーへのヒント:「いつまで二つのものの間に迷っているのですか」。民は一言も答えませんでした。双方が一頭ずつ牛を用意し、火はつけず、どちらが火をもって答えるかを見るという試みです。
2. 25-29節を読みます。バアルの預言者たちはどのように呼び求めましたか。朝から夕方まで続けた結果は、どうなりましたか。
リーダーへのヒント:バアルの名を呼び、祭壇の周りに踊り、大声で叫び、自分の身を傷つけました。結果は、なんの声もなく、答える者もなく、また顧みる者もありませんでした。
3. 30-39節を読みます。エリヤはどのような準備をしましたか。何を願って祈りましたか。最後に民は何と言いましたか。
リーダーへのヒント:祭壇を繕い、十二個の石を使い、三度水を注ぎました。神が主であることと、神が民の心を翻されたことを知らせてほしいと願いました。民は、「主が神である。主が神である」と言いました。
4. バアルの側には、「なんの声もなく、答える者もなく、また顧みる者も」いませんでした。真実で生きておられる神への信仰と、ただの「説明体系」となった信仰との最も大きな違いは、どこにありますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ります。生きておられる神は見て、聞き、答え、人の心を翻されます。説明体系は人が暗唱できるだけです。どのような時に、私たちの信仰は一つの説明体系になりやすいか、尋ねてもよいでしょう。
5.(時間があれば扱う問い)エリヤの祈りは短いものでした。願いの中心は何でしたか。このことは、私たちの祈り方について何を気づかせますか。
リーダーへのヒント:主が神であることを人々が知り、その心が翻されることです。祈りは長さや声の大きさではなく、誰に、何のために語るかが大切です。
6. 私たちが祈る時、いつも天から火が下るわけではありません。ヨハネ第一 5:20は、神の子が来て、真実な方を知ることができるようにしてくださったと語ります。すぐに答えが見えない日、何を根拠に神が生きておられ、聞いておられると知ることができますか。
リーダーへのヒント:最も確かな根拠は、神がすでにイエス・キリストにあって語り、行動されたことです。御子は人となり、死に、復活されました。グループの人々が、自分が経験した祈りへの答えを話してもかまいませんが、それを公式にはしないでください。
7. 「祈っても空気に向かって話しているようだ」と感じたことがありますか。(話したい人だけでかまいません。初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:リーダーが自分の経験を先に正直に話します。多くの敬虔な人もそのような時を経験し、詩篇にもそのような祈りが数多くあります。
8. 今週、この生きておられる神に、どのように話したいですか。
リーダーへのヒント:具体的なことへ導きます。今週何度か、実際におられる方に話すように祈ります。神への信頼と従順を奪っているものを、神の前に置くこともできます。続く行動リストも、この答えにつなげます。
まず一人のメンバーに列王紀上 18:36-39をゆっくり読み、続いてヨハネ第一 5:20の前半を読んでもらいます。皆で二分間静まり、それぞれ心の中で、最も正直な一言を神に語ります。希望する人は一言か二言祈ります。声に出したくない人にとっては、静かに祈ることも祈りです。初めて来た方は静かに聞いているだけでよく、祈ることも信仰の立場を表明することもまったく求めません。最後にリーダーがまとめ、長い間祈りながら、今も答えを待っているグループの人々のために祈ります。
次のように始めてもよいでしょう(祈りの方向):
真実で生きておられる神よ、私たちの信仰が一つの説明体系だけになり、祈っても心が空っぽになる時があることを認めます。あなたが真実で生きておられ、祈りを聞かれる神であることを感謝します。あなたは見て、聞き、人の心を翻されます。御子を私たちの間に遣わし、真実な方を知ることができるようにしてくださったことを感謝します。まだ答えが見えない日にも、あなたに語り続ける者としてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、一人ひとりが下の中から一つを選び、今週行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も要りません。よければ次の集まりで話してもかまいません。できなかった時は、何が妨げになったかを祈りの中で主に持っていきましょう。
イザヤ44:6-20を扱う「唯一のまことの神」の課、またはヨブ42:1-6を扱う「隠れておられる神」の課を選べます。