聖書を読み、神のみこころを知る, 第11課. 読む 詩篇 73 篇. 詩篇に不満や不公平への訴えを見つけると、なぜこのような言葉まで聖書に記されているのか分からない
中心聖句:詩篇 73 篇
詩篇73篇の詩人は、不公平に押しつぶされそうになりました。悪しき者は安らかに暮らし、自分が心を清く保ったことは無駄に思えたのです。聖書は、このような言葉も収めています。心の中の不平を抑え込まず、また神に背を向けず、そのまま神のもとへ持って行くよう教えるためです。神の聖所へ入った時、詩人は正義がすぐ実現するのを見たわけではありません。それでも、あらためて「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう」と告白しました。
詩篇を読むと、驚くような言葉に出会うことがあります。「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか」(詩篇 13:1)。「主よ、なぜ、あなたはわたしを捨てられるのですか」(詩篇 88:14)。また、詩篇73篇には、「まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗った」(詩篇 73:13)とあります。ここまで神に訴える言葉が、なぜ聖書に書かれているのかと思う人は少なくありません。神を信じる人が、このように語ってもよいのでしょうか。
詩篇73篇の気持ちは、私たちにもよく分かります。人脈を頼る人は次々と昇進し、まじめに働く人は同じ場所にとどまる。賃金を払わない経営者は新しい車に乗り、賃金の支払いを求める労働者はまだ待っている。人をだました者が自由に暮らし、正直な人が損をする。この詩には「アサフの歌」という表題があります。詩人は、「わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである」(詩篇 73:2-3)と語ります。彼らは「ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない」(73:5)。高慢を首飾りのようにまとい、高ぶって語り、口を天に逆らわせ、「常に安らかで、その富が増し加わる」(73:12)のです。
そこで詩人は、たいへん重い言葉を口にします。自分が心を清く保ち、罪を犯さず手を洗ったのは無駄だった。「わたしはひねもす打たれ、朝ごとに懲しめをうけた」(詩篇 73:14)からです。
その次の一節には、注意が必要です。「もしわたしが『このような事を語ろう』と言ったなら、わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう」(詩篇 73:15)。「心を清くするのは無駄だ」という結論を神の民へ教えれば、彼らを誤らせることになると、詩人は気づきました。この詩そのものが、この葛藤を神のもとへ持って行った記録です。詩篇の嘆きの多くは、このような祈りです。神に背を向けるのではなく、神に向かって真実を語ります。
転機は、ある場所で起こります。「わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得たまではそうであった」(詩篇 73:16-17)。聖所で、詩人は「なぜ」のすべてを説明する答えを受け取ったのではありません。別の角度から見るようになりました。悪しき者はなめらかな所に置かれ、「またたくまに滅ぼされ」ます(73:19)。同時に、自分自身の姿も見えました。「わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった」(73:22)。
そして、詩全体で最も美しい言葉が続きます。
わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。(詩篇 73:25)
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である」(詩篇 73:26)。詩人が最後に得たのは、「悪しき者は皆報いを受けた」という成績表ではなく、神ご自身でした。そして、「神に近くあることはわたしに良いことである」(73:28)と語ります。
詩篇の嘆きは、一篇全体を読みましょう。信仰の中に、涙、不平、「なぜ」があってよいと教えてくれます。同時に、人が祈りの中で神に支えられ、目を再び神へ向けられていく姿も見せます。このような詩が聖書に収められているのは、神が私たちへ祈りの言葉を与えてくださるためです。心が苦しい時、詩篇の言葉を借りて祈り始められます。
1. 先に結論を語り、その後で過程を語ります。 1節の「神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい」は、詩人が一連の葛藤を通り抜けた後の結論です。その後で、どのようにつまずきそうになり、どのように立ち直らされたかを率直に語ります。
2. 「アサフの歌」。 詩篇73篇の表題は「アサフの歌」です。詩篇50篇と73-83篇が、アサフの名と結びつけられています。聖書には、ダビデの時代にアサフというレビびとの歌の指導者がいたと記されています(歴代志上 16:4-5)。この表題は、アサフの聖歌隊、またはアサフの伝統に属するという意味の可能性もあります。そのため、書いた人を単に「詩人」と呼べば十分です。
3. 「もしわたしが『このような事を語ろう』と言ったなら」。 15節は、詩人が抱いた懸念を示します。「心を清くするのは無駄だ」と結論づけて神の民へ語れば、彼らを誤らせることになります。聖書は、詩人が初めは黙り、後になって詩を書いたとは記していません。この詩そのものが、葛藤を神のもとへ持って行った記録です。
4. 「聖所」。 17節の「神の聖所」は原文で複数形になっており、神を礼拝し、御前へ出る場所を指します。幕屋か、後代の神殿か、その周辺かを本文は明らかにしていません。神の御前で、詩人が物事を見る角度は変わりました。そこで説明を聞いたとは書かれていません。
5. 嘆きの歌は詩篇の大きな分類の一つです。 詩篇には、個人の嘆きと共同体の嘆きが数多くあります(詩篇 13、22、42、44、88篇など)。多くは叫び、訴え、信頼への転換を含みます。詩篇88篇は暗闇の中にとどまり、転換のないまま終わりますが、それも聖書に収められています。
初めに確認します(リーダーが読み上げます)
グループで分かち合ったことを、外へ持ち出して言い広めません。ただし例外があります。今起きている傷害、子どもや弱い立場にある人の安全、または自分や他人をすぐ傷つける危険に関わる場合、リーダーは完全な守秘を約束できません。通常は、できる限り本人と相談し、実際に助けられる人へ必要な情報だけを伝えます。子どもや自分で身を守れない人に関わる場合、また差し迫った危険がある場合は、本人の同意を前提とせず、状況に応じて牧師、資格を持つ専門家、地域の公安・警察、救急、医療機関へ連絡します。差し迫った危険がある時はその場で助けを求め、本人を一人にしないでください。
ウォームアップ:子どものころ、「あまりにも不公平だ」と感じたことがありますか。(初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:気軽に話し、笑ってもかまいません。物を分ける時、叱られた時、兄弟姉妹の間の出来事などです。「不公平だ」という感覚を引き出すための問いです。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない人にも分かるようにします)
この課で読むのは、詩篇73篇です。詩人は言います。神はイスラエルの心の清い人へ、まことに恵み深い。しかし私の足はつまずくばかりだった。悪しき者と高ぶる者が安らかに栄えるのを見て、ねたんだからだ。彼らはほかの人々のように悩まず、いつも安らかで、富が増していく。それなのに私は一日中打たれる。心を清くしたのは無駄だった。もしこのように語れば、あなたの子らの代を誤らせるだろう。理解しようとしても難しかったが、神の聖所へ行き、彼らの最後を悟った。彼らはなめらかな所に置かれている。私は愚かで悟りがなく、あなたに対して獣のようだった。それでも私はいつもあなたとともにあり、あなたは右の手を保ってくださる。私はあなたのほかに、だれを天に持ち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。神に近くあることは私に良いことだ。今日は一緒に、なぜ詩篇の不平や訴えまで聖書に書かれているのかを話します。
1. 1-12節を読みます。詩人の目に、悪しき者はどのような日々を送っていましたか。詩人自身の心はどうなっていましたか。
リーダーへのヒント:安らかに栄え、ほかの人々のように悩まず、身は健やかで、高慢と暴力に満ち、高ぶって語り、いつも安らかで富が増しました。詩人の足はつまずくばかりで、高ぶる者をねたみました。
2. 13-17節を読みます。詩人は、どのような重い言葉を語りましたか。それを人々へ語ろうとしなかったのはなぜですか。転機はどこで起きましたか。
リーダーへのヒント:「わたしはいたずらに心をきよめ」たと言いました。神の子らの代を誤らせたくなかったからです(15節)。転機は、「神の聖所に行」った時に起きました(17節)。
3. 18-28節を読みます。聖所へ行った後、詩人は何を見ましたか。自分について、また神について、どのように語りましたか。
リーダーへのヒント:悪しき者はなめらかな所に置かれ、またたくまに滅ぼされます。自分は愚かで悟りがなく、獣のようだったと語ります。神はいつもともにおられ、右の手を保ち、さとしをもって導き、心の力、永遠の嗣業となってくださいます。
4. このような訴えや不平が、なぜ聖書に書かれているのでしょうか。詩篇は、心の不平をどう扱うよう教えますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。時間を多めに取ります。これは神へ向けて語る真実であり、祈りです。聖書はこのような言葉を収め、私たちもそのまま神のもとへ行けること、そして祈りの中で立て直されることを教えます。不平を心へ押し込める必要も、確認していない非難を言い広める必要もありません。神へ語ることと、信頼でき、実際に助けられる人へ助けを求めることは両立します。
5.(時間に余裕がある場合)「わたしが神の聖所に行って、彼らの最後を悟り得た」(73:17)。詩人は聖所で何を理解しましたか。今日、私たちはどこで「聖所へ入る」ことができますか。
リーダーへのヒント:悪しき者の最後を理解し、神をあらためて見ました。説明を一つ受け取ったとは書かれていません。今日、礼拝、祈り、神のみことばを読むことを通して、私たちは神の御前へ出ます。新約は、イエスの血によって、はばかることなく聖所へ入れると語ります(ヘブル 10:19)。
6. 詩人は最後に、「悪しき者が皆報いを受けたので、私は勝った」とは言いません。「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう」と語ります。この変化の鍵は何ですか。
リーダーへのヒント:ほかの人が持つもの、自分にないものから、神ご自身へ目が移りました。神は詩人の力、嗣業です。不公平がすぐ消えなくても、もはやその不平に支配されません。
7. 最近、「あまりにも不公平だ」と感じていることがありますか。話したい方は、一、二言だけ話してください。(あるかどうかだけでもかまいません。初めて来た方も話せます)
リーダーへのヒント:ただ聞き、評価せず、急いで助言しないでください。話してくれたことへ感謝します。具体的な権利に関わる場合は、集まりの後で正当な対応を一緒に考えられます。
8. この一週間、心の不平をどのように神のもとへ持って行きたいですか。実際の対応が必要なことなら、信頼でき、助けることのできるだれに話せますか。
リーダーへのヒント:詩人のように書き、神へ語る言葉にできます。信頼できる人を一人誘って、ともに祈ることもできます。嘆きの詩を一つか二つ読み、詩人の言葉を借りて祈ることもできます。続く行動リストもこの方向に沿っています。
まず一人に詩篇73:21-28をゆっくり読んでもらい、皆で一分間静まります。それから、希望する人が一言、二言ずつ祈ります。ほかの人の名前や詳細を出さず、心の不平を率直に神へ伝えてかまいません。不公平な扱いを受けている人々のためにも祈れます。最後に皆で、「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう」と一度語ります。声を出したくない人は、黙って祈っても同じ祈りです。初めて来た方は静かに聞くだけでよく、祈ったり信仰を表明したりする必要はまったくありません。最後にリーダーがまとめ、グループの人々のために感謝し、とりなします。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはAppに書かず、グループチャットにも投稿しません。通常、継続して支える時は、まず本人の同意を得て、必要な一、二文だけを個人的に記録します。子どもや自分で身を守れない人の安全に関わる場合、または自傷・他害の差し迫った危険がある場合は、本人の同意を前提とせず、直ちに地域の救急、公安・警察、または適切な保護機関へ連絡してください。
次のように祈り始めることができます(祈りの方向):
神よ、この世の不公平も、私たちの心の不平も、あなたは見ておられます。正しく生きることが無駄に思え、私たちの足もつまずきそうになる時があります。あなたへ真実を語ることができることを感謝します。私たちを御前へ導き、あらためてあなたを見させてください。あなたはいつも私たちとともにおられ、右の手を保ってくださいます。私たちはあなたのほかに、だれを天に持ち得るでしょうか。どうか私たちの心の力となり、抑圧されている人のために正義を行ってください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈りの後、一人ひとりが次の中から一つ選び、この一週間に行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。話したい人は、次の集まりで分かち合えます。できなかった時は、何が妨げになったかを祈りの中で主に持っていきましょう。
「聖霊にあって祈る」シリーズの「ありのままの感情を祈りに持って行く」(詩篇 13篇)、または「求道者がよく尋ねること」シリーズの「神が愛なら、なぜ苦しみがあるのですか」(ルカ 13:1-5)を選べます。