聖書を読み、神のみこころを知る, 第1課. 読む 詩篇 119:97-112. 聖書が聞き慣れた背景音のようでありながら、どこから読めばよいか分からないほど遠く感じる
中心聖句:詩篇 119:97-112
詩篇119篇の作者は神の言葉を愛し、苦しみの中でも、それにより頼んで歩みました。神の言葉は足元を照らすともしびのようです。道全体を一度に照らすとは限りませんが、目の前の一歩を見せてくれます。聖書は神の霊感を受けて書かれたものです。今日、短い一つの箇所から読み始められます。
長く信仰生活を送っている人にとって、聖書は聞き慣れた背景音のようになることがあります。幾つかの有名な聖句は、すぐに暗唱できます。カレンダーに印刷され、SNSでシェアされ、説教でも数えきれないほど聞いてきました。しかし、自分で聖書を開いて読もうとすると、かえってなじみがなく感じられます。六十六巻、千章以上もあり、どこから始めればよいか分かりません。創世記を数日読んでも、レビ記で止まってしまいます。適当に開いた所を読んでも、読み終えた後、何を読んだのか説明できません。やがて聖書は、本棚に置かれたまま、見るたびに少し後ろめたくなる本になります。
詩篇119篇は、聖書で最も長い詩篇です。百七十六節あり、ほとんどすべての節が神の言葉について語っています。二十二の段落に分かれ、一段落は八節です。ヘブル語では、同じ段落の八節がすべて同じ文字で始まり、最初の文字から最後の文字まで並んでいます。初めから終わりまでをたどる、アルファベット詩のようなものです。作者はこの整った形を用いて、神の言葉の尊さを繰り返し歌い、苦しみの中の叫びも神の御前へ持って行きました。
いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう。わたしはひねもすこれを深く思います。(詩篇 119:97)
作者は、神の戒めが「常にわたしと共にあるので、わたしをわが敵にまさって賢くします」と語ります。「わたしはあなたのあかしを深く思うので、わがすべての師にまさって知恵があります」、「わたしはあなたのさとしを守るので、老いた者にまさって事をわきまえます」とも言います(詩篇 119:98-100)。自分が人より賢いと誇っているのではありません。どの言葉も、その理由を神の言葉に帰しています。102節では、神ご自身が「わたしを教えられた」と語ります。さらに、「あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです」と言います(詩篇 119:103)。
105節には、多くの人がよく知る言葉があります。「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」(詩篇 119:105)この言葉は美しく印刷されることが多いのですが、そのすぐ前後にある言葉は美しい状況を描いていません。「わたしはいたく苦しみました」(詩篇 119:107)、「わたしのいのちは常に危険にさらされています」(詩篇 119:109)、「悪しき者はわたしのためにわなを設けました」(詩篇 119:110)。「あなたのみ言葉はわが足のともしび」と語る人は、まさに夜道を歩いていました。
古代によく使われた明かりは、油を入れ、一本の灯心を出した小さな陶器の油皿でした。その光は限られています。詩人は「足のともしび、道の光」という言葉によって、神の言葉がどのように歩みを導くかを描きました。この比喩は、神がしばしば、まず目の前の一歩を照らしてくださることも思い起こさせます。その先の何年分もの道を、あらかじめすべて示されるとは限りません。迷う時、私たちは探照灯を求めます。しかし神がくださるこのともしびには、一歩ずつ進むために十分な光があります。
パウロはテモテに、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」と語りました(Ⅱテモテ 3:16)。神の言葉は私たちを慰める時もあれば、立ち止まらせ、正す時もあります。その目的は、「神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になる」ことです(Ⅱテモテ 3:17)。
聖書を読み始める時から、大きな目標を立てる必要はありません。紙の聖書と一本のペンを用意し、毎日短い箇所をゆっくり読み、読み終えたら少し考えます。詩人から、神の言葉を愛し、深く思い、守ることが互いに結びついていると分かります。私たちも今日の短い箇所から始め、目を開いてくださるよう神に願えます。
1. アルファベット詩。 詩篇119篇は、ヘブル語の二十二の文字に従って二十二段に分かれ、一段は八節です。97〜104節は十三番目の段で、各節が מ(mem)で始まります。105〜112節は十四番目の段で、各節が נ(nun)で始まります。中国語や日本語に訳すと文字の並びは見えませんが、段落ごとのリズムは分かります。
2. 八つの表現は、どれも神の言葉を指します。 この詩篇には、おきて、あかし、さとし、戒め、裁き、定め、み言葉、言葉などの表現が繰り返し現れます。それぞれに異なる強調点があり、神が人に与える教え、命令、約束をさまざまな面から描きます。狭い意味での「律法の条文」だけを指すものではありません。
3. 知恵はどこから来るのでしょうか。 98〜100節で、詩人は敵、師、老いた者より知恵があると語ります。神の戒めがいつも彼とともにあり、神のあかしを深く思い、神のさとしを守るからです。これは師や年長者を軽んじる言葉ではなく、まことの知恵の源が神にあると語るものです。
4. 「足のともしび」。 当時よく使われた油皿は手のひらほどの陶器で、光は限られていました。ここで「ともしび」と「光」は、同じ意味を二つの言い方で表しています。ヘブル詩では、同じ内容を言い換えて二度語ることがよくあります。
5. 「霊感」。 Ⅱテモテ 3:16の「霊感」に当たる原語は θεόπνευστος(theopneustos)で、文字どおりには「神が息を吹き出された」という意味です。聖書の言葉は神から出たものなので、人にとって「有益」です。
ウォームアップ:初めて持った聖書は、どのように手に入りましたか。今、どこに置いてありますか。(初めて来た方も話せます。)
リーダーへのヒント:気軽に話すだけで十分です。人から贈られた人、自分で買った人、まだ紙の聖書を持っていない人もいるでしょう。どれでもかまいません。この問いは、皆と聖書との関係を思い起こすためのものです。どれほど読んでいるかを評価しません。
課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです。)
この課では、詩篇119篇97〜112節を読みます。詩人はこう語ります。「いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう。わたしはひねもすこれを深く思います。」彼は、神の戒めが常に自分とともにあり、あかしを深く思い、さとしを守るので、敵や師や老いた者よりも知恵があると言います。また、神の言葉はあごに甘く、蜜にまさって口に甘いと語ります。そして、「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」と言います。その時、彼はいたく苦しみ、命が常に危険にさらされ、悪しき者からわなを設けられていました。それでも神のおきてを忘れず、さとしから迷い出ず、神のあかしをとこしえの嗣業とし、終わりまで定めを守ろうと心を傾けました。関連する箇所はテモテへの第二の手紙3章です。聖書はすべて神の霊感を受け、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益です。今日は、聖書が聞き慣れた背景音のようになり、どこから読めばよいか分からなくなった時、どのようにもう一度、神の言葉に引き寄せられるかを一緒に考えます。
1. 97-104節を読みます。詩人は、自分と神の言葉との関係をどのように描いていますか。感情を表す言葉を探してください。
リーダーへのヒント:いかに愛することでしょう、ひねもす深く思う、常にわたしと共にある、あごに甘い、蜜にまさって口に甘い、などです。これらの言葉から、詩人が神の言葉にどのような思いを抱いていたか、その思いと、繰り返し深く考えることにどのような関係があるかを尋ねてもよいでしょう。
2. 詩人は、自分が敵、師、老いた者より知恵があると語ります。その理由を何だと言っていますか。
リーダーへのヒント:神の戒めが常に彼とともにあるから(98節)、神のあかしを深く思うから(99節)、神のさとしを守るから(100節)です。102節では、神が彼を教えられたとも語ります。知恵は神の言葉から来て、深く思い、守る中で育ちます。才能や年数だけから来るのではありません。
3. 105-112節を読みます。詩人はどのような状況にいましたか。その中で神の言葉をどのように見ていましたか。
リーダーへのヒント:いたく苦しみ、命が常に危険にさらされ、悪しき者がわなを設けていました。それでも神のおきてを忘れず、さとしから迷い出ず、神のあかしを「とこしえにわが嗣業」とし、定めを「終りまで」守ろうと心を傾けました。
4. 「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。この比喩は、神の言葉による導きをどのように描いていますか。迷う時、どのような慰めや気づきを与えますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取ります。古代の小さな油皿の光は限られていました。神の言葉は、十年後のことをすべて教えるとは限りませんが、今日の一歩をどのように歩むか見せてくれます。迷う時、神に最も教えてほしいのは何か、実際に御言葉からどのような助けを受けたかを尋ねてもよいでしょう。
5.(時間があれば扱う問い)Ⅱテモテ 3:16-17を読みます。聖書は人にどのような益を与えますか。その中で、今の自分に最も助けとなるのはどれですか。まだよく分からないもの、受け入れにくいものはありますか。
リーダーへのヒント:人を教え、戒め、正しくし、義に導きます。その目的は、人が完全にととのえられ、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができることです。戒められ、正されることは、しばしば心地よくありません。しかし、それも慰めと同じく神の愛から出ています。
6. 詩人は、神の言葉が「蜜にまさって」甘いと語ります。しかし私たちの多くにとって、聖書を読むことは薬を飲むことや宿題をすることに似ています。人はどのようにして、その甘さを味わうようになると思いますか。
リーダーへのヒント:次のようなことを話せます。詩人は困難の中で読み、神の言葉から実際に助けを受けました。たまに開くのではなく、毎日深く考えました。聖書を課題としてだけでなく、神を知る道として受け取りました。甘さは、しばらく歩んだ後で味わうこともあります。「今はまだ味わえない」という人に罪悪感を持たせないでください。
7. あなたにとって聖書は、「聞き慣れた背景音」に近いですか。「どこから読めばよいか分からない厚い本」に近いですか。それとも、ほかの何かでしょうか。(初めて来た方も話せます。)
リーダーへのヒント:一人一、二言で十分です。聞くだけで、評価しません。「もう長い間読んでいません」と言ってもかまいません。
8. 今週、どこから、いつ読み始めたいですか。
リーダーへのヒント:できるだけ具体的にします。どの書を、毎日何節、いつ、どこで読むかを考えます。小さくてかまいません。続けて歩めることのほうが大切です。この後の行動リストで、その一歩を選びます。
まず一人が詩篇 119:105-112をゆっくり読み、皆で一分間静まります。その後、希望する人が一、二文ずつ祈ります。神の言葉を感謝し、聖書を読む時の難しさを神へ話してもかまいません。今、迷いや困難の中にいる人のために、神の言葉が次の一歩を照らすよう祈ることもできます。声に出したくない人は、静かに祈ることも祈りです。初めて来た方は静かに聞くだけでよく、祈ったり信仰の立場を表明したりする必要はまったくありません。最後にリーダーがまとめ、グループの人々のために感謝し、とりなします。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリにもグループチャットにも書きません。後のケアが必要な時は、リーダーが本人の同意を得て、必要な一、二点だけを非公開で記録します。
次のように始めてもよいでしょう(祈りの方向):
天の父よ、暗闇の中を手探りで歩くままにせず、あなたのみ言葉を私たちの足のともしび、道の光としてくださり、感謝します。聖書は本棚に置かれたまま、なじみ深いのに遠いものになりがちです。読めない時があり、読んでもすぐ忘れてしまいます。私たちの目を開き、あなたのおきてのうちのくすしき事を見させてください。あなたのみ言葉を、私たちの口に蜜よりも甘いものとしてください。今日のこの一歩を照らしてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、一人ひとりが次の中から一つを選び、今週行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。よければ、次の集まりで話すことができます。できなかった時は、妨げになったことを祈りに持って行きましょう。
「長く続けられる聖書通読の習慣」の課(詩篇1篇)か、「神のみことばを心にたくわえる」の課(詩篇 119:9-16)を選べます。