イエスは私たちのために祈っておられる · スモールグループ

聖霊によって祈る:神の臨在と導きを経験する, 第9課. 読む ヨハネによる福音書 17:6-26. 自分の祈りは弱く力がないと感じ、自分のために祈ってくれる人もいないように思う

中心聖句:ヨハネによる福音書 17:6-26

私たちの祈りはしばしば弱いものですが、私たちは一人で祈っているのではありません。主イエスは十字架にかかられる前夜、すでに「彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々」のために祈られ、今も「いつも生きていて彼らのためにとりなして」おられます。私たちが頼るのは自分の祈る力ではなく、主のとりなしです。

はじめに

「祈っても力がなく、いつも同じようなことしか言えません。」「人に祈ってもらうのは少しためらいます。迷惑をかけたくないし、その場で祈っても後は忘れられる気もします。」時には、祈りがかなえられないこと以上に、自分一人で踏ん張っているように感じることがつらいものです。自分の祈りには力がなく、周りにも自分のために祈ってくれる人がいないように思えます。

ヨハネによる福音書17章には、主イエスが裏切られる夜にささげられた長い祈りが記されています。ご自分が弟子たちを離れることを知り、天を見上げて、彼らのために父へ願われました。父が彼らを守ってくださるように祈られます。

わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。(ヨハネ 17:15)

また、真理によって彼らを聖別し、一つにしてくださるよう父に願われました。そして、その祈りは目の前にいる十一人の弟子たちを越えて広がります。

わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。(ヨハネ 17:20)

「彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々」とは、後に使徒たちのあかしを聞いて主を信じた人々です。使徒たちのあかしによって主を信じた今日の私たちも含まれます。その夜、町を出て園へ向かう前に、主イエスはすでに私たちのために祈っておられたのです。

これは二千年前の一度きりの祈りではありません。ヘブル人への手紙はこう語ります。

そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。(ヘブル 7:25)

パウロも、キリストは「神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さる」(ローマ 8:34)と語ります。私たちが祈る時、復活された主も父の御前で絶えず私たちのためにとりなしておられます。

ペテロの物語は、このことをよく示しています。主イエスは彼にこう言われました。「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ 22:31-32)。その夜、ペテロは園で眠り込み、その後、三度も主を知らないと言いました。それでも後に立ち直り、兄弟たちを力づけることができた土台には、主がすでに彼のために祈っておられたことがあります。

主イエスは私たちのために何を願われるのでしょうか。ヨハネによる福音書17章で、父が弟子たちを世から取り去り、あらゆる困難を免れさせてくださるようには祈られませんでした。悪しき者から守り、真理によって聖別し、一つにしてくださるよう祈られました。そして最後に、「あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい」(ヨハネ 17:24)と願われます。また、父が「わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったこと」を世が知るようにも祈られました(ヨハネ 17:23)。

ですから、自分の祈りが弱く力もないと感じる時、私たちを救い、守ってくださる土台は、いつも生きておられる大祭司だと思い起こせます。そのため、上手に祈れるか、長く祈れるかを心配せず、安心して祈れます。父の御前で私たちのために語ってくださる方がおられるからです。主イエスが私たちのために願われたことは、私たちが自分やほかの人のために祈る時の手本にもなります。平安や順調さだけでなく、守られること、聖別されること、一つとなること、そして将来主と共にいることを願うのです。

学びのポイント

1. 「彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました」。 弟子たちは父のものであり、父が御子に与えられました(17:6、9)。御子も、「わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです」(ヨハネ 17:10)と言われます。主イエスは地上におられた間、彼らを守り、「また保護してまいりました」(ヨハネ 17:12)。私たちも、この「与えること」と「守ること」の中で守られています。

2. 「世のためにお願いするのではありません」。 17:9は、主イエスが世を顧みないという意味ではありません。「神は……この世を愛して下さった」(ヨハネ 3:16)からです。この祈りは、父が主に与えられた人々のために特にささげられています。また、弟子たちが一つになるよう願われたのは、「あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じる」ためでもあります(ヨハネ 17:21)。

3. 世にいながら守られます。 主は「彼らを世から取り去ること」を願わず(17:15)、弟子たちは世にとどまり、世へつかわされます(17:18)。「悪しき者」とは悪魔を指します。主イエスが願われたのは、あらゆる困難を取り除くことではなく、困難の中で悪しき者に奪われないことでした。

4. 「あなたの御言は真理であります」。 17:17で主イエスは、父が真理によって弟子たちを聖別してくださるよう願われました。聖別とは、神のものとして取り分けることです。そして聖別の道となるのが神の御言です。19節の「彼らのためわたし自身を聖別いたします」とは、父から受けた使命のためにご自分を完全にささげることを意味し、その夜には特に、十字架へ進むことを指していました。

5. 「いつも生きていて」。 ヘブル 7:23-25によれば、旧約の祭司たちは「死ということがあるために、務を続けることができ」ませんでした。しかし、この大祭司は永遠におられるので、そのとりなしが途切れることはありません。ヨハネも、「父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(ヨハネ第一 2:1)と語ります。

分かち合い

オープニング(約10分)

ウォームアップ:だれかがあなたのために祈ってくれたことで、今も覚えていることはありますか。その時どんな気持ちでしたか。(初めて来た方は、だれかがしてくれて心を動かされたことを話してもかまいません。)

リーダーへのヒント:一、二言で十分です。評価はしません。祖母や母、年配の姉妹、あるいは見知らぬ人だったかもしれません。どれもよいでしょう。

課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです。)

この課では、ヨハネによる福音書17章6〜26節を読みます。主イエスが裏切られる夜にささげられた祈りです。父から与えられた弟子たちのために、悪しき者から守り、真理によって聖別し、一つにしてくださるよう父へ祈られました。彼らを世から取り去ることを願わず、かえって世へつかわされます。そして、「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします」と言われました。私たちも使徒たちのあかしによって主を信じたのなら、この祈りには私たちも含まれています。また、父から与えられた人々が将来主と共にいて、その栄光を見るよう願われました。関連する箇所はヘブル人への手紙7章25節です。主イエスはいつも生きていて、私たちのためにとりなしておられます。今日は、自分の祈りが弱く力もないと感じる時、主イエスのとりなしが何を与えてくれるか、一緒に考えます。

観察

1. ヨハネ 17:6-10を読みます。主イエスは、ご自分が祈っておられる人々をどのように語っておられますか。

リーダーへのヒント:父が世から主に与えられた人々で、もとは父のものでした。彼らは父の言葉を守り、主イエスが伝えられた言葉を受け入れ、主が父から出たことを本当に知りました。主は彼らによって栄光を受けました。弟子たちは実際にはとても弱かったのに、主イエスがこのように彼らを見ておられたことに注目できます。

2. 11-19節を読みます。主イエスは弟子たちのために何を願われましたか。何を願われませんでしたか。

リーダーへのヒント:父が彼らを守り、一つにし、心に主の喜びを満たし、悪しき者から守り、真理によって聖別してくださるよう願われました。彼らを世から取り去ることは願わず、かえって世へつかわされました。

3. 20-26節を読みます。さらにだれのために、何を祈られましたか。

リーダーへのヒント:弟子たちの言葉を聞いて主を信じる人々、すなわち後の時代に使徒たちのあかしによって主を信じる人々のためです。私たちもそのあかしによって主を信じたのなら、この祈りには私たちも含まれます。彼らが一つとなって世が信じること、将来主と共にいてその栄光を見ること、父が主を愛された愛が彼らのうちにあることを願われました。

解釈

4. ヘブル 7:23-25とルカ 22:31-32を読みます。主イエスが「いつも生きていて彼らのためにとりなしておられる」ことは、自分の祈りが弱く力もないと感じる人にとって、どのような意味がありますか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いの一つなので、十分に時間を取ります。私たちが守られるのは、自分の祈る力によるのではなく、主のとりなしによります。ペテロがその例です。主は先に彼のために祈られたので、倒れた後に立ち直ることができました。これは祈らなくてもよいという意味ではなく、安心して祈れるということです。

5. 主イエスは私たちのために、守られること、聖別されること、一つとなること、将来ご自分と共にいることを願われました。順風満帆になることではありません。これは、私たちが普段、自分やほかの人のために願うことと、どのように違いますか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。私たちは健康や仕事、試験のためによく祈ります。それらも願ってかまいません。主イエスの祈りは、悪しき者に奪われず、真理によって形造られ、兄弟姉妹と心を一つにし、最後に主と共にいるという、さらに深い必要を示しています。自分がほかの人のために最もよく願うのは何か、考えてもらってもよいでしょう。

6.(時間があれば扱う問い)主イエスは弟子たちが一つとなり、「あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じる」よう祈られました。グループで互いのためにとりなすことは、この言葉とどう関わりますか。

リーダーへのヒント:互いに祈ることは、一つであることの最も具体的な姿の一つです。本来は関わりのなかった人々が互いを心にかけ、とりなして祈る時、世はキリストの愛を見るでしょう。「私たちのグループには、みんなのためにいつも人知れず祈っている人がいますか」と尋ねてもよいでしょう。

適用

7. 「だれも私のために祈ってくれていない」と感じたことはありますか。主イエスがすでにあなたのために祈られたと知り、今どのように感じますか。

リーダーへのヒント:一言で十分です。話さなくてもかまいません。心を動かされる人も、まだ遠く感じる人もいるでしょう。どちらでもかまいません。問い詰めません。

8. 主イエスが祈られたように、今週、だれのために何を願いたいですか。だれかに自分のために祈ってほしいと頼めますか。

リーダーへのヒント:具体的な人と具体的な事を勧めます。迷惑をかけると心配せず、自分のために祈ってほしいと人に頼むことも勧めましょう。この後は二人一組になって互いのために祈ります。

祈りと実践

ともに祈る(約15分)

この課では二人一組になって互いのために祈ります。まず一分間静まり、主イエスがいつも私たちのために祈っておられることを感謝します。その後二人一組になり、一人ずつ、相手に祈ってほしいことを一つ話します。そして主イエスが祈られたように、その人を主が守り、真理によって聖別し、兄弟姉妹と心を一つにしてくださるよう、また本人が話したことについて助けてくださるよう祈ります。声に出したくない人は、相手に祈ってもらい、静かに聞いて「アーメン」と言うだけでもかまいません。初めて来た方は祈る必要がありません。最後にリーダーがまとめ、グループ全体のために祈ります。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリにもグループチャットにも書きません。後のケアが必要な時は、リーダーが本人の同意を得て、必要な一、二点だけを非公開で記録します。

次のように始めてもよいでしょう(祈りの方向):

天の父よ、ありがとうございます。私たちの祈りはしばしば弱く、言葉も出てきません。それでも主イエスがいつも御前で私たちのために祈っておられることを感謝します。裏切られる夜に、すでに私たちのために祈り、今もいつも生きて私たちのためにとりなしておられる主イエスに感謝します。どうか主イエスが祈られたように私たちを守り、悪しき者に奪われないようにしてください。あなたの真理によって私たちを聖別し、このグループで互いに愛し合い、心を一つにさせてください。また、互いのために祈ることを教えてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

今週の行動リスト(約5分)

祈った後、一人ひとりが次の中から一つを選び、今週行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。

記録も報告も必要ありません。よければ、次の集まりで話すことができます。できなかった時は、妨げになったことを祈りに持って行きましょう。

さらに話したい方へ

「人のために執り成す」の課(創世記 18:16-33)か、「小グループで共に祈る」の課(使徒 4:23-31)を選べます。

リーダーガイド