聖霊の導きを見分ける · スモールグループ

聖霊によって祈る:神の臨在と導きを経験する, 第4課. 読む 使徒行伝 21:7-14. 心に何かを感じたら、必ず聖霊からなのでしょうか

中心聖句:使徒行伝 21:7-14

聖霊は確かに人を導かれます。しかし、心に生じた思いは吟味する必要があります。聖霊は真理の御霊であり、その導きは聖書にかなってキリストに栄光を帰します。聖書や事実が明確に語ることと、自分の解釈や推測とを区別し、兄弟姉妹とともに吟味しましょう。

はじめに

「祈っている時、心にはっきり示されました。この仕事に違いありません。」「あの日、ある聖句を読んで、神がこの人と交際しなさいと言っておられると感じました。」「聖霊が、そこへ行ってはいけないと止めておられる気がします。」教会では、このような言葉をよく耳にします。本当に神が導いておられる時もあります。しかし、自分の願い、恐れ、一時の感情が「示し」という衣を着ている時もあります。難しいのは、語る人がたいてい真剣であり、聞く側もそれ以上尋ねにくいことです。

心に何かを感じたら、必ず聖霊からなのでしょうか。使徒行伝21章には、丁寧に読みたい出来事があります。

パウロはエルサレムへ向かっていました。以前、エペソ教会の長老たちにこう語っています。「今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。」(使徒 20:22-23)旅の途中で、聖霊は実際に何度もそのことを示されました。ツロでは、弟子たちが「御霊の示しを受けて、エルサレムには上って行かないようにと、しきりにパウロに注意した」(使徒 21:4)とあります。カイザリヤでは、伝道者ピリポの家に滞在していた時、ユダヤから預言者アガボが下って来ました。

そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、「聖霊がこうお告げになっている、『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すであろう』」。(使徒 21:11)

その場にいた人々は皆、使徒行伝を書いたルカも含めて泣き、エルサレムへ行かないようパウロに願い続けました。しかし、パウロはこう答えます。

その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。(使徒 21:13)

ここに難しい問いがあります。ツロの弟子たちは「御霊の示しを受けて」語り、アガボも「聖霊がこうお告げになっている」と言いました。それなのに、なぜパウロは忠告に従わなかったのでしょうか。パウロが頑固だったのでしょうか。それとも兄弟姉妹の受け取り方が間違っていたのでしょうか。

この箇所には昔から複数の理解があります。その一つは、前後の文脈に沿って次のように読みます。聖霊は、パウロが苦しみに遭うことを弟子たちに知らせました。弟子たちは彼を愛していたため、行かないように勧めました。ツロでの一文(21:4)は簡潔なので、これだけが唯一の読み方だとは言えません。しかしカイザリヤでは、区別が比較的明確です。アガボが預言したのは捕縛であり、行かないよう勧めたのは預言を聞いた人々でした(21:11-12)。後に預言どおり、パウロはエルサレムで捕らえられ、千卒長に鎖でつながれました(使徒 21:30-33)。パウロ自身も、なぜ行くのかを知っていました。「しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。」(使徒 20:24)

少なくとも、この箇所は一つのことを教えます。受け取った知らせが真実でも、それに対する人間の解釈や適用は、なお吟味を必要とします。聖霊の導きを見分ける難しさは、何かを「感じたかどうか」よりも、聖書や事実が明確に語ることと、自分の解釈や推測とを区別するところにあります。愛も恐れも期待も、いつの間にか「神のみこころ」に置き換わりやすいのです。

では、どう見分ければよいのでしょうか。主イエスは地上を去られる前、聖霊についてこう語られました。

けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。(ヨハネ 16:13-14)

この約束は第一に、やがてキリストの証人となる使徒たちへ与えられました。同時に、聖霊の働く方向も示しています。聖霊は「真理の御霊」ですから、すでに与えられた御言葉を覆すようには導きません。また、キリストに栄光を得させますから、人がキリストをもっと知り、キリストに似るように導き、自分自身を高く上げさせることはありません。ある思いが聖書に反していたり、よく心を探ると、それが結局は虚栄心を満たしたり、従うことから逃げたりするためのものだと分かったりするなら、立ち止まって吟味を続ける必要があります。パウロがエルサレムへ向かった道は、捕縛へ向かう道でした。主イエスもかつて「エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ」(ルカ 9:51)、十字架への道を進まれました。

聖書は、反対の極端へ進むことも勧めません。「御霊を消してはいけない。預言を軽んじてはならない。すべてのものを識別して、良いものを守り」(テサロニケ第一 5:19-21)とあります。心の思いをすべて疑う必要も、すべてそのまま実行する必要もありません。神の御言葉と祈りのもとへ持って行き、兄弟姉妹とともに吟味します。

最後に、パウロを愛した人々がどうしたかを見ましょう。「こうして、パウロが勧告を聞きいれてくれないので、わたしたちは『主のみこころが行われますように』と言っただけで、それ以上、何も言わなかった。」(使徒 21:14)彼らは心配を真剣に伝えました。パウロが行く決意を変えないと分かると、無理に押し止めず、結果を主に委ね、彼と一緒にエルサレムへ上って行きました(使徒 21:15-16)。グループで互いに接する時も、こうありたいものです。率直に忠告することはできますが、「神が私に言われた」と語って、ほかの人の決断を代わりに下してはいけません。

学びのポイント

1. ここは、聖霊に満ちた家庭でした。 ピリポはエルサレム教会で選ばれた七人の執事の一人であり(使徒 6:5)、サマリヤで福音を伝えました(使徒 8:5)。四人の娘は「預言をしていた」(使徒 21:9)とあります。そのような家庭でも、聖霊の言葉をどう受け取るかは吟味を必要としました。

2. アガボは信頼できる預言者でした。 以前にも「世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言した」(使徒 11:28)人で、それは後に実現しました。帯で自分を縛ったのは、旧約の預言者がよく用いた、動作で知らせを表す方法です。エレミヤが「亜麻布の帯を買」うよう命じられたことも、その一例です(エレミヤ 13:1)。

3. 「御霊に迫られて」は、原文では「霊に縛られて」という表現です。 20:22の口語訳は「御霊に迫られて」としますが、直訳すれば「霊に縛られて」です。この「霊」を聖霊と理解する人も、パウロ自身の内側からの促しと理解する人もいます。どちらにしても、この動詞は後の実際の鎖と響き合います。パウロは捕縛が待っていると知りながら、行くことを決めました。後には、自分が「エルサレムで囚人としてローマ人たちの手に引き渡された」とも語っています(使徒 28:17)。

4. 「わたしたち」も、願い続けた人々の中にいました。 12節には、「わたしたちはこれを聞いて、土地の人たちと一緒になって、エルサレムには上って行かないようにと、パウロに願い続けた」とあり、ルカも自分を含めています。人を愛している時ほど、知らせを聞いた後、その人のために結論まで出してしまいやすいものです。

5. 「主のみこころが行われますように」。 人々がそれ以上何も言わずに語ったこの言葉は、ゲツセマネでの主イエスの祈りによく似ています。「しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカ 22:42)。心配を伝えた後は、結果を主に委ねることも学びます。

分かち合い

オープニング(約10分)

ウォームアップ:学校を選ぶ、転職する、引っ越すなど、これまでにした大切な決断を一つ挙げてください。どうやって決めましたか。(初めて来た方も話せます。)

リーダーへのヒント:一、二文で話します。評価はしません。「感覚で決めた」「多くの人に相談した」など、どの答えもこのテーマに入るよいきっかけになります。

課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです。)

この課では、使徒行伝21章7~14節を読みます。パウロがエルサレムへ向かう途中、聖霊は投獄と患難が待っていることを繰り返し示されました。カイザリヤでは、預言者アガボがパウロの帯で自分の手足を縛り、この帯の持ち主をユダヤ人がエルサレムでこのように縛る、と聖霊が告げていると語りました。皆は泣いて、行かないようパウロに願い続けました。しかしパウロは、主イエスの名のためなら縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟していると答えました。人々はそれ以上何も言わず、「主のみこころが行われますように」と語りました。関連する箇所はヨハネによる福音書16章13~14節です。真理の御霊は人をあらゆる真理へ導き、キリストに栄光を得させます。今日は、心に何かを感じた時、それが聖霊の導きかどうかをどう見分けるか、一緒に考えます。

観察

1. 使徒 21:7-11を読みます。パウロは誰の家に泊まりましたか。アガボは何をし、何を語りましたか。

リーダーへのヒント:七人の執事の一人である伝道者ピリポの家です。四人の娘も預言をしていました。アガボはパウロの帯で自分の手足を縛り、聖霊が告げておられるのは、パウロがエルサレムで縛られ、異邦人の手に渡されることだと語りました。

2. 12-14節を読みます。人々は聞いてどうしましたか。パウロはどう答えましたか。最後に人々は何と言いましたか。

リーダーへのヒント:皆が泣き、行かないよう願い続けました。パウロは、それで心をくじかれているが、主イエスの名のためならエルサレムで縛られることも死ぬことも覚悟している、と答えました。人々は「主のみこころが行われますように」とだけ言い、それ以上何も言いませんでした。パウロは冷淡だったのではなく、心をくじかれていたことにも注目してください。

3. 使徒 20:22-24と21:4をもう一度読みます。聖霊が旅の途中でパウロに示していたことは何ですか。ツロの弟子たちは、それを受けてパウロに何と言いましたか。

リーダーへのヒント:聖霊が示したのは、投獄と患難が待っていることです。ツロの弟子たちは、エルサレムへ上って行かないように注意しました。この二つを並べた時の緊張に、まず気づいてもらいます。21:4には昔から複数の理解があります。次の問いで21:10-12を見ると、区別が比較的明確になります。

解釈

4. 21:10-12を読みます。アガボの預言が明確に語ったことは何ですか。行かないようにという忠告は誰から出ましたか。同じ知らせを聞いた、誠実でパウロを愛する人々が、なぜ「行かないでください」という結論を出したのでしょうか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いの一つなので、十分に時間を取ります。アガボが預言したのは、パウロが縛られ、異邦人の手に渡されることでした。行かないよう願ったのは、預言を聞いた人々です。愛、恐れ、守りたいという思いが、いつの間にか「神のみこころ」に置き換わることがあります。21:4には昔から複数の理解があり、グループで一つの結論を争う必要はありません。知らせが真実でも、人の解釈と適用はなお吟味を必要とすることを伝えます。自分にも似た経験がないか、考えてもらえます。

5. ヨハネ 16:13-14を読みます。聖霊の働きには、どのような特徴がありますか。心に生じた思いを吟味する時、どのように助けになりますか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。聖霊は真理の御霊で、人を真理へ導くため、聖書に反するようには導きません。自分から語らず、キリストに栄光を得させます。この約束は第一に使徒たちへ与えられましたが、聖霊の働く方向も示します。次の問いを一緒に整理できます。聖書にかなっているか。栄光を受けるのはキリストか、自分か。聖書や事実が明確に語ることと、自分の解釈や推測は何か。成熟した兄弟姉妹とともに祈り、吟味したか。テサロニケ第一5:19-21にも触れてください。すべてを消してはならず、すべてを識別します。これらは助けとなる問いであり、公式ではありません。

6.(時間があれば扱う問い)パウロは忠告を聞き入れず、人々はそれ以上何も言いませんでした。グループで人に助言する時、どうすれば率直に語りながら、その人が神の前でする決断を尊重できますか。

リーダーへのヒント:心配を誠実に伝えることはできます。しかし、「神が私に言われた」という言葉で人を押さえつけてはいけません。決断について神の前で責任を負うのは本人です。「主のみこころが行われますように」と語った後も、あの人々がパウロに同行したように、寄り添い続けられます(21:15-16)。明らかに聖書に反することは別です。聖書に従って柔和に勧め、必要なら牧師にも助けてもらいます。

適用

7. 「神から示されたと思ったが、後で自分の思いだったと気づいた」経験はありますか。反対に、考え過ぎだと思っていたことが、後になって神からの促しだったと分かった経験はありますか。

リーダーへのヒント:リーダーが最初に自分の例を短く話してもよいでしょう。人の経験を評価せず、詳しい事情を追いません。

8. 今、見分ける必要があることはありますか。今週、それをどのように吟味できますか。

リーダーへのヒント:グループで詳しい内容を話す必要はありません。祈りに持って行く、関係する聖書箇所を読む、成熟した兄弟姉妹一、二人に一緒に祈ってもらう、少し待つ時間を取るなど、具体的な一歩を勧めます。この後の祈りで、それらのことを祈ります。

祈りと実践

ともに祈る(約15分)

まず一分間静まり、一人ひとりが今考えていることを神の前に持って行きます。その後、希望する人は、決断を前にしているグループの人々のために一、二文で祈ります。自分のために、真理の御霊が導き、自分の思いを見分けさせてくださるよう祈ってもかまいません。声に出したくない人は、静かに祈ることも祈りです。初めて来た方は祈る必要がありません。最後にリーダーがまとめ、皆で「主のみこころが行われますように」と言います。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリにもグループチャットにも書きません。後のケアが必要な時は、リーダーが本人の同意を得て、必要な一、二点だけを非公開で記録します。

次のように始めてもよいでしょう(祈りの方向):

天の父よ、真理の御霊を与えてくださったことを感謝します。私たちの心には、自分の願い、恐れ、ほかの人の期待など、多くの声があり、どれがあなたの導きか分からなくなることがあります。聖霊によってあなたの真理へ導き、御言葉の中で、また兄弟姉妹の間で、ともに吟味させてください。困難な道であっても、キリストに栄光を帰す道を進ませてください。今考えていることをあなたの御手に委ねます。主のみこころが行われますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

今週の行動リスト(約5分)

祈った後、一人ひとりが次の中から一つを選び、今週行います。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。

記録も報告も必要ありません。よければ、次の集まりで話すことができます。できなかった時は、妨げになったことを祈りに持って行きましょう。

さらに話したい方へ

「神に聴くことを学ぶ」の課(サムエル記上 3:1-10)か、「神が時に、私たちのかたくなな祈りを聞き入れてくださること」の課(サムエル記上8章)を選べます。

リーダーガイド