聖霊によって祈る:神の臨在と導きを経験する, 第1課. 読む ローマ人への手紙 8:14-27. 祈り方が分からず、霊的な言葉が足りないのではと恐れ、数言で終わってしまう。天の父がおられることが、安心感、自己価値、所属感、人生の方向にどれほど大きな意味を持つかを知る
中心聖句:ローマ人への手紙 8:14-27
祈りは、「アバ、父よ」という呼びかけから始められます。聖霊は私たちに神の子としての身分を授け、このように呼ばせてくださいます。言葉にならない時には、聖霊ご自身が私たちのためにとりなしてくださいます。
グループで順番に祈っている時、自分の番が近づくと、胸がどきどきし始めます。前の兄弟は「愛する天の父よ」「恵みの御座の前で」と祈り始め、何分も途切れずに言葉が続きました。いよいよ自分の番になると、しばらく言葉に詰まり、ようやく二、三文だけ口にします。「主よ、感謝します。私たちを助けてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン」。顔が熱くなり、自分の祈りはあまりに単純で短いと感じます。次の集まりでは、できるだけ声を出さずに済ませたくなります。一人で家にいる時も同じです。数文で言うことがなくなり、スマートフォンに手が伸びます。
私たちには、話すことがないわけではありません。家族や友人とは、いくらでも話せます。それなのに、神の前に出ると、言葉が止まります。どこでつまずくのでしょうか。多くの場合、心の中で神をどのような方と見ているかに関わります。神が、話す言葉すべてに点数をつける試験官のようなら、口を開く前に言葉を慎重に選ぶでしょう。なかなか面会できない偉い人のようなら、美しい言葉をいくつか準備し、言い終えたらすぐに退出しようとするでしょう。
冒頭の絵で、遠くに腕を組んだまま近づこうとしない人は、放蕩息子のたとえ(ルカ15:11-32)の兄息子です。長年父の家にいたのに、父に語る言葉は勘定書きのようでした。「わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません」(ルカ 15:29)。ここで「仕えて」と訳された語は、次に見るローマ人への手紙の「奴隷」と同じ語根を持ちます。父が兄に答えた最初の言葉は、「子よ」でした(ルカ 15:31)。
ローマ人への手紙8章は、この違いをさらに明確に語ります。
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。(ローマ 8:15)
「アバ」は、イエスと弟子たちが日常使っていたアラム語の、父を呼ぶ言葉です。ゲツセマネの夜、イエスは父にこう祈られました。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください」(マルコ 14:36)。パウロはローマとガラテヤの信徒にギリシア語で手紙を書きましたが、このアラム語をそのまま残しています(ガラテヤ 4:6)。初代の信徒たちは、イエスがどのように父を呼ばれたかを覚え、自分たちも同じように呼びました。
子どもが「お父さん」と呼ぶ時、まず言葉を整える必要はありません。話したいことがあれば話し、うまく説明できなくても呼びかけます。そう呼べる根拠は、その家の子どもであるという身分です。
しかし、「父」という言葉を温かく感じない人も少なくありません。出稼ぎでほとんど家におらず、一年に数回しか会えない父もいます。家にいてもほとんど話さず、口を開けば欠点を指摘する父もいます。父親から傷つけられた人もいます。地上の父について心に抱く姿を、そのまま祈りの中へ持ち込みやすいのです。イエスは率直にこう言われました。「あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカ 11:13)。地上の父は、どれほど善い父でも限界があります。天の父がどのような方かは、イエスを通して知る必要があります。
このような父がおられるなら、日々の生き方も変わります。
「数文で祈りが終わってしまう」という人を、最も慰める言葉もあります。
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。(ローマ 8:26)
この言葉を書いたのはパウロです。彼は「わたしたち」と言い、自分も含めています。言葉が尽きても、祈りは止まりません。父なる神は「御霊の思うところ」を知っておられます(ローマ 8:27)。私たちが言葉にできないことを、聖霊が代わりに語ってくださいます。
ですから、霊的に聞こえる言い回しを一通り覚えるまで、祈るのを待つ必要はありません。普段の言葉で「アバ、父よ」と呼び、心にある本当のことを一つ伝えましょう。数文でもかまいません。言葉にならなければ、静かに御前に座ることもできます。感謝、罪の告白、ほかの人のためのとりなし、静かに待つことなど、祈りにはまだ多くの学びがあります。その出発点は同じです。私たちは、神が子として迎えてくださった者です。
1. 「呼ぶ」は、声を上げて呼ぶことです。 ペテロが水の上でおぼれかけた時、「主よ、お助けください」と叫びました(マタイ 14:30)。ここには同じ語が使われています。祈りにはこのような叫びもあり、言葉を整えてからでなくてもかまいません。
2. 15節の「子たる身分」と23節の「子たる身分」は、原文では同じ語です。 身分はすでに与えられており、からだのあがなわれることはまだ待ち望んでいます。そのため、神の子も、うめくことがあります。うめきは、信仰が足りない証拠ではありません。
3. 「助ける」という語は、新約聖書ではほかに一度だけ使われています。 マルタが忙しさの中で、マリヤに「わたしの手伝いをするように」と言った箇所です(ルカ 10:40)。そばへ来て、共に持ち上げるという意味を含みます。そして「わたしたちはどう祈ったらよいかわからない」と言う時、パウロは自分自身も含めています。
4. ルカは「良いもの」が何かを明らかにします。 マタイでは、「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか」(マタイ 7:11)とあります。ルカは、「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカ 11:13)と記します。天の父が与えようとしておられるこの方こそ、ローマ8章で私たちに「アバ、父よ」と呼ばせ、私たちのためにとりなしてくださる聖霊です。
5. 聖霊は、どこへ導かれるのでしょうか。 主イエスはヨハネによる福音書で、最もはっきり示されました。「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである」(ヨハネ 4:34)、「わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました」(ヨハネ 17:4)。神の子が向かう方向は、父の栄光のために生きることです。
ウォーミングアップ:人前で祈る順番が回ってくる時、心の中で何を考えていますか。(初めて来た方は、これまでに聞いた祈りからどんな印象を受けたか話せます)
リーダーへのヒント:一、二文で話してもらい、評価はしません。今日の話題へ自然に入るための問いです。
この課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない人のためです)
この課では、ローマ人への手紙8章14〜27節を読みました。パウロは、私たちが受けたのは再び恐れを抱かせる奴隷の霊ではなく、子たる身分を授ける霊であり、その霊によって「アバ、父よ」と呼ぶ、と語ります。聖霊は私たちの霊と共に、私たちが神の子であり、神の相続人でもあることをあかししてくださいます。続いてパウロはうめきについて語ります。被造物がうめき、私たちもうめき、からだのあがなわれることを待っています。そして、どう祈ればよいか分からない時、聖霊ご自身が、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、私たちのためにとりなしてくださいます。対照する箇所はルカによる福音書11章9〜13節です。地上の父も子どもに良い贈り物をすることを知っているなら、天の父はなおさら、求める者に聖霊を与えてくださいます。今日は、祈り方が分からず、霊的な言葉が足りないと恐れる時、この箇所が何を教えるか、一緒に考えます。
1. 8:14-17と8:23、26-27を読みます。この箇所で、聖霊は何をしておられますか。一つずつ見つけてください。
リーダーへのヒント:導く(14節)、私たちに「アバ、父よ」と呼ばせる(15節)、私たちの霊と共にあかしする(16節)、最初の実として与えられている(23節)、私たちの弱さを助ける(26節)、私たちのためにとりなす(26節)、神の御旨にかなって聖徒のためにとりなす(27節)ことです。紙に書き出して一緒に数えてもよいでしょう。この問いでは、まず聖書そのものに語らせ、急いで説明しません。
2. 15節は、「奴隷の霊」と「子たる身分を授ける霊」を並べています。聖書はそれぞれを、どのような言葉で描いていますか。
リーダーへのヒント:まず本文を正確に読んでもらいましょう。奴隷の霊は「再び恐れをいだかせる」。子たる身分を授ける霊によって、「アバ、父よ」と呼びます。本文を確認してから話を進めます。
3. この箇所には、三つのうめきがあります(22、23、26節)。それぞれ、だれがうめき、何を待っていますか。
リーダーへのヒント:被造物全体がうめき、産みの苦しみをしながら、神の子たちが現れ、滅びのなわめから解放されるのを待ちます。私たちは心の内でうめき、からだのあがなわれることを待ちます。聖霊は、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、私たちのためにとりなしてくださいます。
4. 奴隷が主人の前へ出る時と、子どもが父の前へ出る時では、話し方はどのように違うでしょうか。「祈りの言葉が霊的でなければ」と心配する時、どちらに近いでしょうか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いの一つです。十分に時間を取りましょう。奴隷は主人の顔色をうかがい、言い間違いを恐れます。子どもが口を開けるのは、子としての身分があるからです。私たちの心の中にいる神は、試験官、偉い人、それとも父のどれに近いでしょうか。その印象はどこから来たのでしょうか。
5.(時間に余裕がある時)17、18節は、神の子は相続人だと言う一方で、「苦難をも共にしている」とも語ります。神の子であることは苦しみを取り除きませんが、パウロは今の苦しみを、やがて現れる栄光に比べて「言うに足りない」と言います。これは、私たちが何を重く見るかを、どう変えるでしょうか。
リーダーへのヒント:パウロは比較して考えました。「わたしは思う」には、量り比べる意味があります。「苦難を共にする」ことを、苦しみで救いを得るという意味にしないでください。今苦しんでいる人に、「そんなことはたいしたことではない」とも言わないでください。パウロは、将来の栄光を前に置いているのであって、人の痛みを軽く扱っているのではありません。
6. ローマ8:26-27とルカ11:13を読みます。私たちが「どう祈ったらよいかわからない」時、聖霊は何をし、父なる神は何をなさいますか。これは、数文で祈りが終わってしまう人に、どのような慰めとなりますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。聖霊は助け、とりなし、それも「神の御旨にかなう」とりなしをしてくださいます。父は人の心を探り知り、聖霊の思うところを知っておられます。天の父が、求める人に与えてくださるのは聖霊です。「言葉にあらわせない切なるうめき」は異言を指すのかと尋ねられたら、解釈は分かれますが、多くの人は、すべての信徒にある経験だと考えています。この点で議論をする必要はありません。聖霊の導きを詳しく扱いたい場合は、「聖霊の導きを見分ける」の課を選べます。
7. 安心感、自己の価値、帰属感、方向。この四つのうち、最近いちばん欠けていると感じるのはどれですか。「天に父がおられる」ことは、その点にどのような違いをもたらすでしょうか。
リーダーへのヒント:一人一つだけ選び、詳しい事情を話さなくてもかまいません。方向を選んだ人には、父の栄光のために生きるという方向(ヨハネ4:34、17:4)へ話をつなげられます。神がどの町、どの仕事へ行かせようとしているかを最初に尋ねるより、今していることをどのように行えば父の栄光が現れるかを尋ねましょう。「父」という言葉がつらいと話す人がいたら、率直に話してくれたことに感謝し、詳しく尋ねず、後で個別に話しましょう。
8. 祈る時、いちばんよくつまずくのはどこですか。今週、神の子として、どのように天の父へ語りかけたいですか。
リーダーへのヒント:朝起きた時に一言、移動中に一言、寝る前に一言という、とても小さな一歩を勧めましょう。続く祈りの時間で、その一歩を実際に始めます。
この課では、祈ること自体が実践です。まず一分間静かにし、一人ひとりが心の中で天の父に一つの真実を語ります。その後、希望する人は「アバ、父よ」または「天の父よ」と始め、本当のことを一つ、一、二文で祈ります。数文で十分です。声に出したくない人は、黙って祈っても祈りです。初めて来た方は祈らなくてもかまいません。最後にリーダーがまとめて、参加者のために感謝し、とりなします。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリに書かず、グループチャットにも投稿しません。後で関わる必要がある時は、リーダーが本人の同意を得てから、必要最小限の一、二文だけを個人的に記録します。
このように始めてもかまいません(祈りの方向):
アバ、父よ、私たちを子として迎えてくださったことを感謝します。私たちは、どのように祈ればよいか分からず、数文で言葉が尽きてしまうことがあります。あなたの霊が私たちの弱さを助け、子どもが父に話すように、あなたに真実を語れるよう教えてください。不安になる時、あなたが父であることを思い出させてください。先が見えない時、聖霊によって導いてください。言葉にできないことを、あなたの霊が代わりに語ってくださいますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、下から一つ選び、今週実行してみましょう。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。希望する人は、次の集まりで話してもかまいません。できなかった時は、つまずいたところを祈りの中で神に伝えましょう。
「ありのままの感情を祈りに持って行く」の課(詩篇13篇)を選ぶことも、「イエスが教えられた祈り」の課(マタイ6:5-15)を選ぶこともできます。