なぜ必ずイエスを通してでなければならないのですか · スモールグループ

求道者がよく尋ねること, 第5課. 読む 使徒行伝 17:16-34. 多元的な社会で「イエスだけ」と語るのは、傲慢に見えないだろうか

中心聖句:使徒行伝 17:16-34

キリスト者が「イエスだけ」と言う根拠は、キリスト者がほかの人より優れていることではなく、神が歴史の中でなさった一つのことにあります。神はイエスをお選びになり、死人の中からよみがえらせ、「その確証をすべての人に示された」のです。この道は狭くても、すべての人に開かれています。仲保者はただひとりであり、その方はすべての人のあがないとしてご自身をささげられました。アテネでのパウロの語り方も、一つの手本を示します。よく見、明確に語り、聞く人を尊重し、応答は相手に委ねます。

はじめに

「すべての道はローマに通ずる」「どの宗教も、人に善を勧めるものだ」「心から信じれば、どれも効き目がある」。私たちは、多様な信仰が身近にある環境で育ってきました。家族の中にも、仏を拝む人、香をたく人、何も信じない人がいます。同僚や同級生の信じるものもさまざまです。そのような中で、キリスト者が「イエスだけが道です」と言うのを聞くと、強い抵抗を覚えるでしょう。どうしてほかはすべて間違いだと言えるのか。傲慢で排他的なのではないか。信仰について知ろうとしている多くの人が、ここで立ち止まります。イエスが善い人、優れた教師だということなら受け入れられる。それでも、なぜ必ずイエスを通らなければならないのでしょうか。

使徒行伝17章で、パウロはアテネを訪れます。そこは古代世界の文化の都で、哲学者が集まり、神殿が立ち並んでいました。ルカは、パウロが「市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた」(使徒 17:16)と記します。パウロは会堂でユダヤ人と論じ、広場でも毎日、出会う人々と語り合いました。二つの学派の哲学者たちが彼と議論し、この「新しい教」がどのようなものか聞こうと、アレオパゴスへ連れて行きました。

パウロの語り方は、よく読む価値があります。彼は初めから、偶像を拝む人々をののしったのではありません。町を歩きながら、彼らが拝むものを注意深く見たと語り、「知られない神に」と刻まれた祭壇にも触れます。そして、そこからこう語り始めます。「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう」(使徒 17:23)。この神は世界とその中の万物を造られた天地の主であり、手で造った宮には住まず、人に仕えてもらう必要もなく、むしろ「すべての人々に命と息と万物とを与え」る方です(使徒 17:24-25)。神は「ひとりの人から、あらゆる民族を造り出し」(使徒 17:26)、「われわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない」(使徒 17:27)とパウロは語ります。さらにギリシアの詩人の言葉も引用しました。「われわれも、確かにその子孫である」(使徒 17:28)。

最後にパウロは、話を一人の方へと向けます。

「神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」(使徒 17:30-31)。

「イエスだけ」という告白の根拠はここにあります。キリスト教信仰は、「私たちは、あなたがたより優れた修行の道を見つけた」と言うものではありません。歴史の中で起きた一つの出来事を宣言します。神は御子イエスを遣わし、イエスは死なれ、死人の中からよみがえられました。復活が事実なら、イエスは数多くいる宗教教師の一人ではありません。復活が事実でないなら、パウロ自身もこう認めています。「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」(コリント第一 15:14)。キリスト教信仰は、調べることのできる一つの出来事に、すべてをかけています。

テモテへの第一の手紙は、さらに直接的に語ります。「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられた」(テモテ第一 2:5-6)。仲保者とは、二者の間に立って和解をもたらす人です。イエスがこの仲保者となれるのは、神のもとから来られ、真に人となられたからです。イエスは道を指し示しただけではなく、ご自身の命をもってあがないの代価を払われました。

救いの道は一つですが、民族、身分、過去によって人を門の外に締め出すものではありません。その直前でパウロは、神は「すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(テモテ第一 2:4)と語ります。あがないは「すべての人」のためにささげられました。アテネの哲学者も、偶像を拝んでいた民も、会堂のユダヤ人も、この招きの中にいます。「イエスだけ」と告白するキリスト者にも、人を見下す資格はありません。私たち自身も恵みを受けて、初めてこの道を見いだしたからです。それは、食べ物を見つけた飢えた人が、ほかの飢えた人々にその場所を知らせるようなものです。

パウロの話を聞いた人々の中には、あざ笑う人も、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言う人も、信じる人もいました(使徒 17:32-34)。パウロはだれにも強制せず、あざ笑われたからといって、伝えるべき内容を薄めることもしませんでした。今日のグループでも同じです。まだ考えている方は、疑問を持ち帰り、時間をかけて考えることができます。

学びのポイント

1. エピクロス派とストア派。 エピクロス派は、人間を超える存在がいたとしても、人の世には関与せず、人は心の平静と喜びを求めるべきだと考えました。ストア派は、宇宙は理性に支配され、人は運命に従い、欲望を抑えるべきだと考えました。どちらの思想にも、死者の肉体の復活が入る余地はありません。この背景を知ると、パウロが「イエスと復活」(17:18)を宣べ伝えた時、なぜ議論になったのかが分かります。後にあざ笑った人、もう一度聞こうとした人、信じた人が、それぞれどの学派に属していたかは、聖書には書かれていません。

2. アレオパゴス。 これはアテネにある岩山の名であると同時に、評議会の名でもあります。ここでは場所に重点があるのか、評議会に重点があるのか、解釈は分かれます。少なくとも、パウロが公の場でアテネの人々に、自分の伝える教えを説明したことは明らかです。ルカは、これが正式な裁判だったとは書いていません。

3. パウロが引用した詩。 「われわれも、確かにその子孫である」という言葉は、ギリシアの詩人アラトス(Aratus)の詩から取られています。パウロは、聞く人々がよく知る言葉を用いて、創造主へと導きました。その言葉を引用したからといって、その詩人の考えすべてに同意したわけではありません。

4. 「見過ごしにされていた」。 17:30は、神が過去に忍耐を示し、すぐに罪を追及されなかったという意味です。ローマ3:25にも、神が「忍耐をもって見のがしておられた」とあります。無知な人には罪がない、という意味ではありません。今、神はどこにいる人にも悔い改めるよう命じておられます。

5. 「仲保者」と「あがない」。 仲保者は、間に立って取り持ち、二者を和解させる人です。あがないは、人を買い戻すために払われる代価です。イエスはご自身について、「多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコ 10:45)と言われました。テモテ第一2:6の「すべての人のあがない」は、2:4の「すべての人が救われ」ることを神が望まれるという言葉と響き合っています。

分かち合い

オープニング(約10分)

ウォーミングアップ:だれかに「すべての道はローマに通ずる」と言われたことがありますか。それはどんな時でしたか。(初めて来た方も話せます)

リーダーへのヒント:気軽に話してもらいましょう。この言葉は、道の探し方、進路選択、商売の仕方などには、よく当てはまります。ここではまずこの言葉を取り上げるだけにし、解釈のところで改めて尋ねます。神を知ることについても、この言葉は当てはまるのでしょうか。

この課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない人のためです)

この課では、使徒行伝17章16〜34節を読みました。パウロはアテネで偶像に満ちた町を見て、心に憤りを覚え、会堂と広場で毎日人々と論じました。哲学者たちは彼をアレオパゴスへ連れて行き、新しい教えを聞こうとします。パウロは、あなたがたが知らずに拝んでいる方を今知らせよう、と語ります。世界と万物を造られた神は、手で造った宮には住まず、すべての人に命と息と万物を与え、私たち一人ひとりから遠く離れてはいません。今、神はどこにいる人にも悔い改めを命じています。神は日を定め、お選びになった方によって世界をさばき、その方を死人の中からよみがえらせて、すべての人に確証を示されました。聞いた人の中には、あざ笑う人、もう一度聞こうとする人、信じる人がいました。対照する箇所はテモテへの第一の手紙2章です。神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとり、キリスト・イエスです。キリストは、すべての人のあがないとしてご自身をささげられました。今日は、なぜ必ずイエスを通らなければならないのか、一緒に考えます。

観察

1. 16〜21節を読みます。パウロはアテネで何を見ましたか。どのように感じ、何をしましたか。

リーダーへのヒント:町に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じました。会堂ではユダヤ人や信心深い人々と論じ、広場では毎日、出会う人々と論じました。二つの学派の哲学者たちが彼と議論し、アレオパゴスへ連れて行きました。21節で、アテネ人たちは「何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていた」とあることにも注目できます。

2. 22〜31節を読みます。パウロは何から話し始めましたか。神をどのような方として語りましたか。最後に、話はだれへ向かいましたか。

リーダーへのヒント:彼らが拝んでいるものと、「知られない神に」と刻まれた祭壇から始めました。神は万物の創造主であり、手で造った宮に住まず、何かに不足しているのでもなく、すべての人に命と息を与え、ひとりの人からあらゆる民族を造り、私たちから遠く離れてはいない、と語ります。最後に、神が「お選びになったかた」へと話を進め、その方を死人の中からよみがえらせたと語ります。

3. 32〜34節を読みます。聞いた人々には、どのような反応がありましたか。

リーダーへのヒント:あざ笑う人、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言う人、パウロに従って信じる人がいました。信じた人々には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオ、ダマリスという女性、そのほかの人々がいました。自分はどの反応にいちばん近いと思うか、尋ねてもよいでしょう。答えを口に出す必要はありません。

解釈

4. 使徒17:30-31とテモテ第一2:5-6を読みます。キリスト教信仰が「イエスだけ」と言う根拠は何ですか。「私たちはほかの人より優れている」と言うことと、どう違いますか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取りましょう。根拠は神の御業です。神はイエスをお選びになり、死人の中からよみがえらせ、確証を示されました。イエスは神と人との間の唯一の仲保者であり、命をあがないとしてささげられました。これは起きた出来事であって、より優れた修行法ではありません。コリント第一15:14にも触れられます。復活が事実でないなら、信仰はむなしいのです。キリスト教信仰は、調べることのできる一つの出来事にすべてをかけています。

5.(時間に余裕がある時)パウロのアテネの人々に対する態度から、私たちは何を学べますか。

リーダーへのヒント:まずよく見ました。「あなたがたの拝むいろいろなもの」を見たのです。相手がよく知っているもの、つまり祭壇や詩人の言葉から語り始めました。心には憤りがあっても、口では人をあざ笑いませんでした。復活や悔い改めなど、耳の痛いことも含め、伝えるべきことを明確に語りました。そして応答は相手に委ねました。

6. テモテ第一2:4-6は、一方で「仲保者もただひとり」と言い、他方で、神は「すべての人が救われ」ることを望み、キリストは「すべての人のあがない」としてご自身をささげたと言います。この二つを一緒に考えると、「イエスだけ」という言葉をどのように受け止めますか。

リーダーへのヒント:道は一つですが、門はすべての人に開かれています。あがないはすべての人のためにささげられました。この告白は、語る人に誇る資格を一つも与えません。軽蔑する態度で真理を語るなら、聞く人に対する務めを果たしていません。語る人も聞く人も、同じように恵みを必要としています。

適用

7. どのような場面で、「排他的だ」「傲慢だ」と思われることをいちばん恐れますか。あるいは、以前はあなた自身がキリスト者をそのように見ていましたか。(初めて来た方も話せます)

リーダーへのヒント:率直に話してくれた人に感謝しましょう。キリスト者がきつい言い方や悪い態度によって、傲慢な印象を与えてきた場合も確かにあります。そのことは謝り、パウロの姿から学びましょう。

8. 今週、なぜイエスを信じるのか、あるいは、なぜまだ考えているのかと尋ねられたら、どのように答えたいですか。

リーダーへのヒント:一人ひとり、一、二文で話してみましょう。完璧である必要はありません。信じている人は復活や自分の経験について話せます。まだ考えている人は、どこで立ち止まっているかを話せます。続く行動リストも、この方向で選びましょう。

祈りと実践

ともに祈る(約10分)

まず一人の参加者に、テモテへの第一の手紙2:3-6をゆっくり読んでもらい、一分間静かにします。その後、希望する人は、神が一人の仲保者を備えてくださったことを感謝し、異なる信仰を持つ身近な家族や友人のために祈り、また、優しく明確に語れるよう神に求めます。声に出したくない方は、黙って祈ってもかまいません。それも祈りです。信仰について知ろうとしている方は、静かに聞くだけでよく、祈ることも信仰を表明することも一切求められません。最後にリーダーがまとめて、参加者のために感謝し、とりなします。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリに書かず、グループチャットにも投稿しません。後で関わる必要がある時は、リーダーが本人の同意を得てから、必要最小限の一、二文だけを個人的に記録します。

このように始めてもかまいません(祈りの方向):

天の父よ、あなたはすべての人が救われることを望み、私たちのために一人の仲保者、人なるキリスト・イエスを備えてくださいました。私たちは多くの声に囲まれて生き、だれを信じればよいのか分からなくなることがあります。傲慢だと思われることも恐れます。よみがえられたイエスを知り、この方がすべての人のあがないとしてご自身をささげられたことを見させてください。パウロのような目と心も与えてください。よく見、明確に語り、一人ひとりを尊重できますように。今も求めている方々が、あなたは私たち一人ひとりから遠く離れておられないことを知ることができますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

今週の行動リスト(約5分)

祈った後、下から一つ選び、今週実行してみましょう。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。

記録も報告も必要ありません。希望する人は、次の集まりで話してもかまいません。できなかった時は、つまずいたところを祈りの中で神に伝えましょう。

続けて話すなら

「イエスとは誰か」シリーズの「道、真理、いのち」の課(ヨハネ14:1-14)を選ぶことも、「目に見えない神が存在すると、どうして分かるのですか」の課(詩篇19篇)を選ぶこともできます。

リーダーガイド