目に見えない神が存在すると、どうして分かるのですか · スモールグループ

求道者がよく尋ねること, 第1課. 読む 詩篇 19 篇. 盲信はしたくないし、誰かが「感じた」と言うだけで信じるよう求められたくもない

中心聖句:詩篇 19 篇

神は目に見えませんが、沈黙しておられません。天は昼も夜も神の栄光を語り、神の言葉はその御名とみこころを知らせ、ついにはイエスによってご自身を現されました。神を信じるために目を閉じる必要はなく、一時の感情だけに頼ることもありません。詩篇19篇は、空を見上げるところから神の言葉を開くところへ、さらに神を「わがあがないぬし」と呼ぶところへ私たちを導きます。

はじめに

「見えないものは信じない」。幼い頃からそう考えてきた人は少なくありません。私たちは証拠を重んじ、「百聞は一見にしかず」と教えられてきました。だれかに「信じれば分かる」「一度感じてみればいい」と言われると、かえって警戒します。信仰とは、ただの雰囲気や心理的な必要にすぎないのではないか。盲信はしたくないし、ほかの人が涙を流し、感動したからといって、一緒に信じるよう求められたくもありません。

聖書自身も、神は目に見えないと認めています。「神を見た者はまだひとりもいない」(ヨハネ1:18)。けれども詩篇19篇は、目に見えないことは、何も語っていないことではない、と言います。その冒頭には、だれにでも見える光景が描かれています。

もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。(詩篇19:1)

昼は次の昼へ、夜は次の夜へと語り継ぎます。空は「話すことなく、語ることなく、その声も聞えない」(詩篇19:3)のに、その響きは「世界のはてにまで及ぶ」(詩篇19:4)のです。町に住んでいると、満天の星を何年も見ていないかもしれません。それでも山や海辺で一度でも天の川を見たことがあれば、詩人が何を言っているか分かるでしょう。これほど広大で、これほど秩序ある宇宙は、それ自体が問いかけます。これはすべて、どこから来たのでしょうか。パウロは、神について知りうる事がらは「彼らには明らかであり」(ローマ1:19)、神の永遠の力は「被造物において知られていて、明らかに認められる」(ローマ1:20)と言います。

7節になると、詩人は別の語り方を始めます。前半では空と太陽について語り、神を一般的な呼び名で呼びます。7〜9節には六つの文が並び、どれも「主の」で始まります。「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする」(詩篇19:7)。空から、偉大な創造者がおられることは分かります。しかし、その方の御名や、私をどう見ておられるのか、どうすればその方と和解できるのかまでは分かりません。それを知るには、神ご自身が語らなければなりません。

詩人が神の言葉を読む時、見えてくるのは空だけではなく、自分自身です。「だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください」(詩篇19:12)。詩篇の最後で、詩人は神を「わが岩、わがあがないぬしなる主」(詩篇19:14)と呼びます。空を見上げ、神の言葉を開き、その言葉の中で赦しを必要とする自分を見つめ、「わがあがないぬし」と呼ぶ。この詩がたどる道は、多くの人が神を知る時にたどる道でもあります。

ですから、神を信じるとは、目を閉じて暗闇に飛び込むことではありません。聖書は、天地を、神の言葉を、そして神が歴史の中でなさったことを見るよう招きます。目に見えない神について、「ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである」(ヨハネ1:18)とあります。イエスは人々の間に来られました。イエスを見、語るのを聞き、その体に触れた人々がいました。信じるとは、こうした根拠に向き合い、この方に自分をゆだねることです。感情は訪れることも去ることもあります。しかし空と聖書はそこにあり、だれでも見て、読んで、問いかけることができます。一度の集まりですべての疑問に答えることはできません。今日は、この詩がたどる道を一緒に歩いてみましょう。

学びのポイント

1. 二つの「語り」。 1〜6節では天地が語ります。言葉も声もないのに、その響きは全地に及びます。7〜11節では神が言葉をもって語り、はっきりした内容によって「魂を生きかえらせ」「無学な者を賢く」します。教会では、前者を「一般啓示」、後者を「特別啓示」と呼ぶことがあります。天地は創造者がおられることを知らせ、神の言葉は、その方がだれであり、人がどのように応答すべきかを知らせます。

2. 呼び名が変わります。 前半で神は אֵל(El)と呼ばれます。これは神を指す一般的な呼び名です。7節からは יְהוָה(YHWH、口語訳では「主」)に変わります。これは、神がイスラエルにご自身を現し、契約を結ばれた時に用いられた御名です。詩人は天地の創造者から、人と契約を結ばれる方へと話を進めます。

3. 太陽も造られたものです。 詩人は太陽を花婿や勇士にたとえますが、「神は日のために幕屋を天に設けられた」(詩篇19:4)と語ります。古代近東では太陽を拝む民族が少なくありませんでした。この詩は太陽を本来の位置に戻します。太陽は神が造り、置かれたものです。

4. 「あがないぬし」。 14節の「あがないぬし」は、原語では גֹּאֵל(go'el)で、買い戻し、救い出す者を意味します。律法やルツ記では、困窮した親族を買い戻し、その責任を引き受ける近親者にも用いられます。詩人は、自分に「隠れたとが」があると認めた直後に、このあがないぬしである主に祈ります。

5. ローマ人への手紙1章は、すべての人について語っています。 パウロは、神について知りうる事がらは「彼らには明らかであり」(ローマ1:19)、続いて、人は神を知りながら「神としてあがめず、感謝もせず」(ローマ1:21)にいると言います。これは、信じた人を含む全人類の姿です。ある友人を指して、「あなたはわざと信じないのだ」と責めるための言葉ではありません。

分かち合い

オープニング(約10分)

ウォーミングアップ:最後にじっくり星空を見上げたのは、いつ、どこでしたか。(初めて来た方も話せます)

リーダーへのヒント:気軽に話してもらいましょう。町に住む人は、長い間星を見ていないかもしれません。そのこと自体を話題にしてもよいでしょう。この問いから、「天は語る」という主題に入ります。

この課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない人のためです)

この課では詩篇19篇を読みました。詩人はまず空を見上げます。天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめします。天地に言葉はありませんが、その響きは全地に及びます。太陽は花婿が部屋を出るように現れ、空の端から端まで走ります。7節から、詩人は神の言葉について語ります。主のおきては完全で、魂を生きかえらせます。それは金より慕わしく、蜜より甘いものです。やがて詩人は自分自身を見ます。だれが自分のあやまちを知ることができるでしょうか。隠れたとがから解き放ってください、と祈ります。詩篇は、「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、わたしの口の言葉と心の思いが、あなたの前に喜ばれますように」という祈りで終わります。今日は、目に見えない神がおられると、どうすれば分かるのか、神を信じるとは感情だけに頼ることなのか、一緒に考えます。

観察

1. 1〜6節を読みます。詩人によれば、空はどのように「語り」ますか。どんな情景が描かれていますか。

リーダーへのヒント:天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめします。昼は昼へ、夜は夜へ語ります。言葉も声もないのに、その響きは全地に及びます。太陽は花婿のようであり、勇士のようで、その熱を免れるものはありません。これらの情景から何を感じるか、さらに尋ねてもよいでしょう。

2. 7〜11節を読みます。詩人は「主のおきて」をどのように描いていますか。それは人に何をもたらしますか。

リーダーへのヒント:完全、確か、正しい、清らか、汚れがない、まことです。魂を生きかえらせ、無学な者を賢くし、心を喜ばせ、目を明らかにします。金より慕わしく、蜜より甘いものです。また、前半では「神」と呼んでいたのに、ここでは六つの文がすべて「主の」で始まることにも注目してもらいましょう。

3. 12〜14節を読みます。ここで詩人の目は、どこへ向かいますか。神をどのように呼びますか。

リーダーへのヒント:空やおきてから、自分自身へと目を向けます。隠れたとが、故意の罪を見つめます。そして神を「わが岩、わがあがないぬし」と呼びます。遠くにいる創造者が、自分と関わりを持つ方になります。

解釈

4. この詩は神の存在を「証明」しようとはしませんが、一歩ずつ人を神の前へ導きます。詩人はどのような歩みをたどりますか。

リーダーへのヒント:この課の中心となる問いです。十分に時間を取りましょう。空を見上げる(1〜6節)→神の言葉を開く(7〜11節)→その言葉の中で自分を見る(12〜13節)→神を「わがあがないぬし」と呼ぶ(14節)、という歩みです。空は何を知らせるでしょうか。また、空には語れず、神ご自身が語って初めて分かることは何でしょうか。神の御名、みこころ、そして罪がどのように赦されるかです。

5.(時間に余裕がある時)ローマ1:19-21を読みます。パウロによれば、人は被造世界と神にどのように応答していますか。この箇所で納得できるところ、受け入れにくいところは何ですか。

リーダーへのヒント:パウロは、人が知っていることを感謝と礼拝に結びつけなかったと言います。まず聖書をよく観察してもらい、初めて来た方が納得できないこと、分からないことを話すのも歓迎しましょう。創造者がおられると認めることは、自分が自分の命の主人ではないと認めることでもあります。これはだれにとっても容易ではなく、信じている人もたびたびそうなります。ただし、この箇所を使って、ある人の心を「本当は分かっているのに、認めたくないだけだ」と決めつけないでください。

6. 「盲信」も「感情だけに頼ること」も当てになりません。それなら、目に見えない神を信じる根拠には何がありますか。

リーダーへのヒント:天地の秩序と美しさ、聖書の言葉、歴史の中でのイエスの言行、その死と復活(ヨハネ1:18では、ひとり子なる神が神をあらわしたと語られます)、そして多くの人の生涯に起きた変化です。信じるとは、引き続き調べられるこれらの手がかりに向き合い、神に自分をゆだねることです。それは、人を知っていくうちに、少しずつ信頼を学ぶことにも似ています。感情は変わります。このような問いは、集会の雰囲気の中ですぐ決断しなくてもかまいません。読み、問い、調べ続けることに耐えられるものです。

適用

7. あなたにとって、神を信じる上でいちばん越えにくい一歩は何ですか。(初めて来た方も話せます。「まだ信じていません」と言ってもかまいません)

リーダーへのヒント:まず聞き、すぐ答えようとせず、その場で討論もしません。みんなの問いを書き留めてもよいでしょう。このシリーズには、聖書は信頼できるか、科学と信仰、苦難、なぜイエスなのかを扱う課もあります。答えられない時は、率直に「分かりません。調べてみます」と言いましょう。

8. 詩人は毎日空を見、神の言葉も読みました。今週、あなたはどのような方法で「見て」「聞いて」みたいですか。

リーダーへのヒント:できるだけ具体的にしましょう。ある晩、外に出て空を見る。毎日福音書を少し読む。心にある問いを一つ書き、神にそのまま問いかける、などです。続く行動リストもこの方向で選びましょう。

祈りと実践

ともに祈る(約10分)

まず一人の参加者に、詩篇19:1-4と19:14をゆっくり読んでもらい、一分間静かにします。その後、希望する人は、天地の美しさを感謝し、自分の隠れたとがの赦しを求め、まだ神を探している友人のために、一、二文ずつ祈ります。声に出したくない人は、黙って祈っても祈りです。信仰について知ろうとしている方は静かに聞くだけでよく、祈ることも信仰を表明することも一切求められません。よければ心の中で、「神よ、もし本当におられるなら、あなたを知ることができるようにしてください」と語りかけてもかまいません。最後にリーダーがまとめて、参加者のために感謝し、とりなします。祈りの課題はグループ内にとどめます。慎重に扱うべきことはアプリに書かず、グループチャットにも投稿しません。後で関わる必要がある時は、リーダーが本人の同意を得てから、必要最小限の一、二文だけを個人的に記録します。

このように始めてもかまいません(祈りの方向):

天地を造られた神よ、私たちはあなたを見ることができませんが、あなたは沈黙しておられません。天は昼も夜もあなたの栄光をあらわし、あなたの言葉は魂を生きかえらせます。私たちには多くの疑問があり、目に見えるものだけを信じがちです。盲目的にならず、心の問いから逃げず、誠実にあなたを求めることができるよう助けてください。すぐには何も感じなくても、あなたを知り続けることができますように。私たちを隠れたとがから解き放ち、イエスにおいてご自身を現されたあなたを知り、あなたを私たちの岩、私たちのあがないぬしと呼べるようにしてください。イエスの御名によって祈ります。アァメン。

今週の行動リスト(約5分)

祈った後、下から一つ選び、今週実行してみましょう。一つで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。

記録も報告も必要ありません。希望する人は、次の集まりで話してもかまいません。できなかった時は、つまずいたところを祈りの中で神に伝えましょう。

続けて話すなら

「聖書は古い本なのに、今でも信頼できますか」の課(ルカ1:1-4)を選ぶことも、「イエスとは誰か」シリーズの「初めからおられた言」の課(ヨハネ1:1-18)を選ぶこともできます。

リーダーガイド