イエスとは誰か, 第13課. 読む ヨハネによる福音書 18:33-38、20 章(参照:19:19、12:12-15、1:49). 心に疑いがあっても口に出せない。また「自分の人生は自分で決める」と考え、誰かを王として迎えたくない
中心聖句:ヨハネによる福音書 18:33-38、20 章(参照:19:19、12:12-15、1:49)
復活したイエスは主であり、王です。その国はこの世から来るものではなく、剣に頼らず、政治権力を奪いません。しかし、その権威は私たちの生活全体に及び、天も地もその御手のうちにあります。心にある疑問は、正直にイエスの前へ持って行けます。イエスは疑問を抱いたトマスを締め出さず、不信仰から信仰へ進むよう招かれました。
「自分の運命は自分で決める。天には決めさせない」。中国の多くの若者が好む言葉です。幼いころから、私たちは自分を頼ることを学んできました。試験も自分の力で受け、仕事も自分で探し、家も自分の力で買います。ようやく人生を自分の手に握ったのに、だれを自分の王にしたいと思うでしょうか。
教会には、もう一つの難しさがあります。心に疑問があっても、口に出せないことです。周りの人がみな「主に感謝します」と言っている時、自分の心には、イエスは本当に復活したのか、祈りを本当に聞く方がいるのか、という疑問があります。話したら信仰が弱いと思われるのが怖くて、隠してしまいます。
ヨハネによる福音書20章には、疑問を口にした弟子が登場します。イエスが復活された日の夕方、弟子たちに現れた時、トマスはその場にいませんでした。ほかの弟子たちが「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」(ヨハネ 20:25)と言いました。
八日の後、イエスは再び弟子たちの間に現れ、トマスが先に言ったことに直接応えられました。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネ 20:27)。イエスは疑問を抱いたこの弟子を締め出さず、トマスの求めたとおりに、見て、触れるよう促されました。トマスは「わが主よ、わが神よ」(ヨハネ 20:28)と言いました。ヨハネがこの福音書を書いた理由もここにあります。「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」(ヨハネ 20:31)。
トマスはイエスを「わが主」と呼びました。この主は、どのような主でしょうか。ヨハネによる福音書18章で、ローマ総督ピラトはイエスを尋問し、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」(ヨハネ 18:33)と尋ねました。イエスは答えられました。「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ 18:36)。イエスは「真理についてあかしをするために」(ヨハネ 18:37)この世に来たと言われました。ピラトはただ「真理とは何か」(ヨハネ 18:38)と言い残しました。
この王は、普通の王とは大きく異なります。エルサレムへ入る時に乗ったのは、ろばの子でした。聖書には前もって「シオンの娘よ、恐れるな。……あなたの王がろばの子に乗っておいでになる」(ヨハネ 12:15)と書かれていました。冠はいばらで兵卒たちが編んだものでした(ヨハネ 19:2)。上ったのは十字架で、その上には「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(ヨハネ 19:19)と書いた札が掛けられました。この方は王として、地上の政治権力を奪わず、弟子たちに剣を取るよう命じませんでした。その国は神から来るものであり、私たちの生活全体を治められます。
この方は、死んだままの王でもありません。復活した後、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」(マタイ 28:18)と言われました。後にパウロは、復活した主がペテロに現れ、十二人に現れ、「そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。……大多数はいまなお生存している」(コリント第一 15:6)と書きました。パウロが「大多数はいまなお生存している」とわざわざ付け加えたのは、多くの目撃者がいて、だれにも尋ねられない遠い昔の出来事ではないことを強調するためだったと、一般に考えられています。
ですから、イエスを王とすることは、運命に任せて何もしないことでも、自分の責任を放棄することでもありません。「自分の運命は自分で決める」という言葉の下には、すべてを自分で背負わなければならない、疲れ切った孤独が隠れていることがあります。この王は私たちのために命を捨て、死からよみがえられました。人生をこの方に委ねるとは、信頼できる主の導きのもとで、忠実に日々を生きることです。心の疑問も、トマスのように正直に話せます。
1. 「わたしの国はこの世のものではない」。 イエスは続けて、もしご自分の国がこの世のものであれば、従う者たちは戦っただろうと言われました(ヨハネ 18:36)。この国がどこから来るか、どのように広がるかは、地上の国とは違います。剣に頼らず、政治運動でもありません。ただし、この世に関心がないという意味ではありません。イエスは「天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」(マタイ 28:18)と言われました。
2. ろばに乗る王。 ヨハネが引用したのはゼカリヤ書9:9です。そこでは、この王が「柔和であって、ろばに乗る」と書かれています。当時、弟子たちはこのことを理解できませんでしたが、イエスが栄光を受けられた後で、この言葉がイエスについて書かれたものだと思い起こしました(ヨハネ 12:16)。
3. 三つの言語で書かれた罪状書き。 札はヘブル、ローマ、ギリシヤの三つの言語で書かれていました(ヨハネ 19:20)。祭司長たちはピラトに書き換えるよう求めましたが、ピラトは「わたしが書いたことは、書いたままにしておけ」(ヨハネ 19:22)と答えました。イエスを十字架につけた人々が書いたのは、まさにイエスの身分でした。
4. トマスの信仰告白は、この福音書の最初の一文に応えています。 ヨハネによる福音書は「言は神であった」(ヨハネ 1:1)と始まり、終わり近くで、トマスがイエスを「わが主よ、わが神よ」と呼びます。その直後、ヨハネはこの福音書を書いた目的を記しています(ヨハネ 20:31)。
5. 初めに信じなかったのは、トマスだけではありません。 女たちが空の墓について知らせた時、「使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった」(ルカ 24:11)とあります。弟子たちは初めからイエスの復活を期待していたのではありません。復活した主に出会って、変えられたのです。
ウォームアップ:「自分の運命は自分で決める。天には決めさせない」という言葉に賛成しますか。なぜですか。(初めて来た方も話せます。)
リーダーへのヒント:賛成でも反対でもかまいません。気軽に話し、評価しません。この問いから、「だれが私の人生の主なのか」というテーマに入ります。
課の振り返り(リーダーが読み上げます。約1分。予習していない方のためです。)
この課では、ヨハネによる福音書18章33~38節と、20章を読みます。ピラトはイエスに、ユダヤ人の王なのかと尋ねました。イエスは、ご自分の国はこの世のものではなく、真理についてあかしをするために来たと言われました。その後、イエスは十字架につけられ、その上には「ユダヤ人の王」と書いた札が掛けられました。三日目、マリヤが墓の外で泣いていると、復活したイエスがその名を呼ばれました。その日の夕方、イエスは弟子たちに現れ、「安かれ」と言われました。トマスはその場にいませんでした。彼は、イエスの手にある釘あとを見なければ決して信じないと言いました。八日の後、イエスはまた来られ、トマスに手を伸ばして触れるよう言われました。トマスは「わが主よ、わが神よ」と答えました。今日は、この復活した主がどのような王なのか、心に疑問がある時にどう向き合えるのかを一緒に考えます。
1. 18:33-38を読みます。ピラトはイエスに、どのような質問をしましたか。イエスは「王」について、どのように答えられましたか。
リーダーへのヒント:「あなたは、ユダヤ人の王であるか」「いったい、何をしたのか」「それでは、あなたは王なのだな」「真理とは何か」という問いです。イエスは、ご自分の国はこの世のものではなく、真理についてあかしをするために来たと言われました。
2. 20:24-29を読みます。トマスは、何を条件にしましたか。イエスはどのように応じられましたか。トマスは最後に何と言いましたか。
リーダーへのヒント:トマスは釘あとを見て、わきに触れることを求めました。イエスは彼の求めに応じて現れ、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われました。トマスは「わが主よ、わが神よ」と答えました。
3. 12:12-15と19:19を読みます。この王は、どのように入城しましたか。「ユダヤ人の王」と記された罪状書きは、最後にどこに掲げられましたか。
リーダーへのヒント:群衆は、しゅろの枝を持って「ホサナ」と叫び、イエスはろばの子に乗って入城されました。「ユダヤ人の王」と記された罪状書きは十字架の上に掛けられました。普通、人が思い浮かべる王と、どこが違うか一緒に話してもよいでしょう。
4. イエスは「わたしの国はこの世のものではない」と言われました。イエスはどのような王ですか。その国は、地上の国とどのように違いますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いの一つなので、十分に時間を取ります。イエスは剣に頼らず、政治権力を奪いません。かぶったのはいばらの冠で、上ったのは十字架です。しかし復活した後、「天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」(マタイ 28:18)と言われました。その国はこの世から来るものではありませんが、その権威は人の心だけでなく、生活全体にも、天にも地にも及びます。
5.(時間があれば扱う問い)コリント第一 15:3-8を読みます。復活した主は、だれに現れましたか。パウロはなぜ「大多数はいまなお生存している」とわざわざ書いたのでしょうか。
リーダーへのヒント:ケパ(ペテロ)、十二人、五百人以上の兄弟たち、ヤコブ、すべての使徒たち、パウロ自身です。「いまなお生存している」と書いたのは、通常、当時その証人たちを捜して尋ねることができたという意味だと理解されています。復活は、証人のいる出来事です。
6. トマスが疑問を口にすると、イエスは再び現れて直接答え、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と招かれました。このことから、心に疑問がある時、どのように向き合えると分かりますか。
リーダーへのヒント:この課の中心となる問いの一つなので、十分に時間を取ります。トマスは疑問を口にし、それも弟子たちの中で語りました。イエスが来られた時も、彼はそこにいました(20:26)。疑問は正直に主の前へ持って行き、兄弟姉妹の間でも話せます。イエスは「信じる者になりなさい」と招かれました。疑問は、そこで歩みを止める場所でなくてもよいのです。
7. あなたの人生で、他人にも神にも最も口を出してほしくないのは、どの部分ですか。その部分で「イエスを主とする」とは、どのようなことでしょうか。
リーダーへのヒント:一人ずつ一、二文で話し、詳しく語る必要はありません。お金、仕事の選択、恋愛や結婚、時間などかもしれません。私たちのために命を捨て、復活された主に治めていただくことと、私たちを知らない人に支配されることはどう違うか、さらに尋ねてもよいでしょう。
8. 心に、ずっと口に出せなかった疑問がありますか。よければ話してください。あるいは、その疑問をどのようにイエスの前へ持って行きたいかだけ話してもかまいません。
リーダーへのヒント:疑問を口にした一人一人に感謝し、その場で評価せず、急いで答えません。一緒に聖書を調べられる問いもあれば、信仰生活の長い兄弟姉妹や牧師に個別に相談できる問いもあります。初めて来た方の疑問は、特に歓迎してください。
まず一人のメンバーに、ヨハネによる福音書20:26-29をゆっくり読んでもらい、一分間静かにします。それから、祈りたい人は一、二文で祈ります。トマスのように「わが主よ、わが神よ」と言っても、自分の疑問を主に正直に話しても、まだ主に委ねたくない部分を言ってもかまいません。声に出したくない方は、黙って祈ってもかまいません。それも祈りです。初めて来た方は静かに聞いているだけでよく、祈ったり、自分の立場を表明したりする必要はまったくありません。最後にリーダーがまとめ、グループの人々のために感謝し、とりなします。祈りの課題はグループの中にとどめます。個人的で慎重に扱うべきことはアプリに書かず、グループチャットにも投稿しません。フォローアップが必要なら、リーダーは本人の同意を得てから、必要な一、二文だけを個別に記録します。
このように祈り始めてもよいでしょう(祈りの方向):
主イエスよ、あなたは復活した主であり、天と地のすべての権威はあなたの御手にあります。あなたの国はこの世のものではありません。ろばの子に乗って来られ、いばらの冠をかぶり、私たちのために十字架にかかってくださいました。私たちは自分で主となることに慣れ、疑問も心に隠しがちです。疑問を抱いたトマスを締め出さず、私たちの疑問も退けないことを感謝します。私たちの疑問の中へ来て、信じない者ではなく、信じる者としてください。また、私たちが最も手放したくない部分でも、私たちの主となってください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
祈った後、次の中から一つ選び、今週実行します。一つだけで十分です。すぐに選べなくてもかまいません。
記録も報告も必要ありません。よければ、次の集まりで話せます。できなかった時は、何が妨げになったかを祈りの中に持っていきましょう。
「弟子たちを招いて従うよう呼びかける方」の課(ヨハネ 1:35-51、21:15-19)を選べます。また、「再び来られる方」の課(ヨハネ 14:1-3)も選べます。